2014年3月30日 エペソ人への手紙 -互いに赦し合いなさい-

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
エペソ4:32


講解説教No.31
エペソ4章31,32節

 キリストをしっかりと着こなす「聖化」のおしえの総まとめ的な部分がきょうのところです。「無慈悲、憤り、怒り、そしり」などを、その他の悪意も含めて、みな捨て去れと命じています。ここに挙げた4つは人の怒りにかかわるものです。実際にエペソの諸教会の中で怒りを抱かずにはいられない状況があったのだろうと思われます。例えば、働かずしてただで他人のパンを平気で食べるようなクリスチャンがいたら、熱心に奉仕をしている人は、おもてに出さずとも心の内で怒りを抱いてしまうかもしれません。これは他の兄姉を罪ありきとしてさばいてしまう心です。聖書はこれを捨て去れと命じるのです。ですから、ここで扱っている直接の問題は、その相手の罪を赦すか赦さないかという問題なのです。聖書はこの問題について、はっきりと「赦しなさい」と命じています。

 その赦し方の指示は、「神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように」すなわち、十字架の死の贖いのように赦しなさいとのことです。私たちはキリストによってすでに赦された存在だから、神は赦すことを命じられ、また、すでに赦された存在だから赦すことができると教えています。「…だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい」(コロサイ3:13)とも教えています。キリストは私たちの罪を憎みました。しかし罪人を愛されました。だから、罪人を救うために、その罪をご自分のいのちをもって処罰されたのです。このイエスの行為は私たちを愛しておられることと、罪を憎んでおられることがわかります。私たちもキリストに倣い、その人の罪を憎み、その人自身を赦さなければなりません。