2014年4月6日 エペソ人への手紙 -神の愛のうちに歩みなさい ~むしろ、感謝しなさい~ -

また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。
エペソ5:2


 「神にならう者となる」ことが命じられています。創造の神にならうというよりも、贖罪の神にならう者として、「愛のうちに歩みなさい」と実践的なことをならうのです。この歩みは神の保護的な歩みではありません。「キリストも…おささげになりました」と説明があるように、私たちが他の人のために、自分を与えるほどの愛をもって歩めということです。キリストは私たちが神の子どもだったから愛されたのではなく、「私たちがまだ罪人であったとき…」から愛してくださいました。その愛し方は「私たちのために死んでくださった」ほどにご自身をささげて愛してくださいました。このキリストを模範にして、私たちの愛をもっての歩みというのは、自分自身を神にささげ切る献身の歩みでなければいけません。この歩みは教会の中で行なうものではありません。教会の中で互いに愛し合い、赦し合ってキリストのからだを建て上げたその教会から遣わされたこの世での歩みです。世の人たちとかかわりつつ、しかも区別される「聖徒にふさわしく」歩む歩みです。

 その歩みとして、聖徒にふさわしくない会話というものが戒められています(3節~)。それらの会話はこの世の人たちが好み、それを言うことが社会にふさわしいとされるものです。聖徒たちのたしなみにおいては主はそれらを悪とされます。聖書はそれらをただ口にするなと禁じているだけではありません。「むしろ、感謝しなさい」と、神にも人にも感謝をもって対応しなさいと命じています。悪を発言する人にどう感謝せよと?と相手の行為が重要なのではなく、私たちの心が重要です。心にあることが口で話すからです。私たちの心に常にある者、関心を寄せるものはキリストです。キリストにある喜びが感謝となって口から出てくるのです。