2014年9月14日 ルカの福音書 -ザカリヤの賛美-

すると、たちどころに、彼の口が開け、
舌は解け、ものが言えるようになって神をほめたたえた。
ルカ1:64


講解説教No.5
ルカ1章57-80節

 およそ10か月の間、話すことも聞くことも許されなかったザカリヤが、許された瞬間「神をほめたたえた」一時的な沈黙の世界の中で、彼はどんなことを考えていたのでしょう。声を聞くことは出来ませんでしたがマリヤの賛美する姿を見ていました。人は心に満ちているものを話します(ルカ6:45)。今ザカリヤの心に満ちているものは救い主なる神でありました。しかし、それまでの彼の心は違いました。神のことばを信じなかったところから来る不安と恐れで満ちていました。事実そのときの彼のことばには主の名はどこにも出てきません。今あなたの心に満ちているものは何ですか?ザカリヤは話すことが出来るようになったことを喜んだのではありませんでした。彼らの念願だったわが子を授かったから讃えたのでもありませんでした。彼は救い主キリストを信じ受け入れたことを喜び讃えたのでした。その心に満ちていることを話すのです。ザカリヤは、自分たちを一方的にたずね、顧みてくださる主の恵みをたたえ、またご自分のいのちの代価を払ってくださった贖い主の恵みをたたえ、「救いの角」すなわち、神の力をもって敵の手から解放してくださった主の恵みをたたえました(68節)。さらに彼は罪人たちの違反の責任をいっさい神が負うところの一方的な神の契約(聖なる契約)に基づいて救い出してくださった、約束に誠実な神をたたえました(72-75節)。もし神が罪人をあわれんでくださらなかったら、「暗黒と死の陰」に座っているほかありません(79節)。神に対して故意に罪を犯した人間を、神が救う義務はありません。ですからザカリヤは「これはわれらの神の深いあわれみによる」(78)と主をたたえているのです。

 不信に満ちていたザカリヤの心は、なぜキリストに満ちたのでしょうか?それは彼が悔い改めて、主の約束を信じなおしたからです。救い主イエスキリストの誕生の出来事の中心テーマとして、著者ルカは『信じること!』を中心に持ってきました。救い主誕生の出来事は正確な事実です。それを信じることによって、その事実が自分のものとなるのです。