2015年2月8日 宣教大会 -あらゆる国の人々を弟子とせよ-

イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても、地においても、いっさいの権威が与えられています。
マタイ28:18


マタイ28章16-18節

 宣教はあらゆる国の人々をイエスの弟子とすることにあります。弟子とはイエスの主権に従い、信頼し続けて生きる人たちのことです。11人の弟子たちは死人の中からよみがえられたイエスにお会いしたとき、イエスを礼拝しました。なぜなら、イエスが復活に裏打ちされたまことの神であられたからです。ただ、その中には信仰が薄く、疑う心を持つ者もいました。イエスはその人を責めるのではなく、むしろ自ら近づかれ、いっさいの権威が与えられている万物の支配者であることをはっきりと示されました。弟子とはイエスが示されたとおりのお姿を信じ、仰いでいる人です。私たちもそのことを明確にすることができたなら、なんとなく礼拝しているかのように、顔を上げて立っているわけには行きません。「頭が高い!」と、ひれ伏さずにはいられないでしょう。私たちはイエスの絶対的支配者としての根拠を死者の中から最初によみがえられたイエスの復活に見るのです。そのイエスゆえに、すなわち、万物を支配する権威がイエスに与えられているので、人々を弟子としての歩みを始めさせよ!との宣教命令が成り立っているのです。その命令に従うイエスの弟子は、人々を新たに弟子に導くのです。その人々は社会に裏打ちされた暮らしを主としています。財産を主としています。自分本位な楽しみを主としています。自分の意思に反する人生の重荷を自分の主にさせられています。いずれにしても、その人々はイエスキリストを主としていません。ですからその人々のところに出て行き、万物の支配者であられるイエスを主とする弟子へと導くのです。宣教するといっても、イエスの権威のもとでなければ何もできません。だからこそ、「すべての名にまさる名」に免じて宣教するのです。