2016年12月18日 ルカの福音書ー主の御名によって来られる王ー

「イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始め、」
ルカ19:37



講解説教No.100
ルカ19章28-40節

イエスの地上生涯の最後の一週間、エルサレムに入りました。
これはゼカリヤ9:9の預言の成就です。イエスは神の国の王として人々の前にご自身を現しました。イエスはなおも先頭に立って行き、弟子たちが後ろについて行きます。死に行く王を理解できずとも彼らは従います。それが弟子です。マタイ福音書で描いているエルサレム入場は群衆が「ホサナ」と叫んでいます(マタイ21:9)。しかしルカ福音書では群衆が賛美する姿を描いていません。ルカが示したかったのは「弟子たち」の賛美です(37)。その中には救いを頂き「イエスについて行った」盲人だった弟子がいたでしょう(18:43)。或いは失われていたが一方的に見出されたザアカイもいたかもしれません(19:9)。そして受難の真意をほとんど理解できていなくても、なおついて行っている十二弟子たちも勿論。このように、ルカはイエスのエルサレムへの旅を描きながら、イエスについて行く弟子たちの在り方を語っています。彼らは「自分たちの見たすべての力あるわざのことで」(37)主を賛美していました。これはイエスがガリラヤにおられた時から一緒に歩み、従って来た弟子たちだからこそ出来ることです。「天には平和。栄光は、いと高き所に」(38)と賛美しました。イエス誕生のとき、羊飼いたちに現れた天の軍勢の賛美を念頭に置いているかのようです。パリサイ人たちは弟子たちを黙らせようとしましたが、イエスは「もしこの人たちが黙れば、石が叫びます」と返しました。天の軍勢の賛美をだれも止めることができないように、弟子たちのこの賛美をだれも妨げることはできないのです。イエスに従う弟子たち、すなわち私たち信仰者とは、そのような賛美を歌う者たちです。教会の使命はイエスキリストを宣べ伝えることですが、ただ伝えるだけではありません。イエスによる救いの恵みをくださった神を賛美する声を高らかにあげながら宣べ伝えるのです。