神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神です。というのは、神に対しては、みなが生きているからです。
ルカ20:38
講解説教No.105
ルカ20章27—40節
復活はないことを主張したいサドカイ人がイエスに尋ねました。子が生まれずに死んだ兄に代わって弟が兄嫁と再婚し、ところが弟も兄と同じ状況に陥り、三男が兄嫁と再婚したが、やはり子を残さずに死んでしまい…(当時のユダヤ社会は神の祝福として、神の民をその家から絶やしてはならないという定めがあった)。さて復活の時皆がよみがえるとしたら一体だれが妻の夫になるのか?これを尋ねることで彼らは復活ことを主張したかったのです。イエスのお答えは「次の世に入るのにふさわしく、死人の中から復活するのにふさわしい、と認められた人たちは、めとることも、とつぐこともありません」(35)もう結婚する必要はないと。その理由が大切です。「彼らはもう死ぬことができないからです」(36)イエスが死んで復活された同じ復活体を頂くのです。地上を生きるこのからだと復活のからだには大きな隔たりがあります。地上での夫婦の関係をそのまま復活へと持ち込むことはできません(赤の他人になるということではない)。復活は命とからだの完成です。からだだけの完成だけではなく、人との関係性も完成します。サドカイ人が尋ねた心配は一切必要ないということです。地上の一切の事柄、問題、苦しみ、悲しみのすべてが復活の時には完成するので、完全に解放されます。人は神との関係においてこそ本当に生きることができます。それは愛であり、義であり、永遠である神とかかわり、交わるように人が造られているからです。その神から離れて、すなわち愛や信頼に生きることをやめ、欲するまま自分本位に生きるなら、それは死んでいるのです(エペソ2:1)。しかし、キリストの贖いによって神との関係に生きることを開始するなら、たとえ死んでも生きます。神はよみがえらせて永遠に生きます。