それでイエスは言われた。「わたしは真実をあなたがたに告げます。この貧しいやもめは、どの人よりもたくさん投げ入れました。」
ルカ21:3
講解説教No.107
ルカ20章45節~21章4節
これまでイエスは、イエスを救い主メシヤと信じていない人たちに対して、ご自身がそれであることを語って来られました。今度はイエスを救い主として信じ、従っている者に対して、「ささげる信仰」について教えられました。イエスは多額の献金を投げ入れる金持ちと、わずか数百円をささげるやもめとをご覧になりました。そして「どの人よりもたくさん投げ入れた」と言ってやもめの信仰を評価されました。「たくさん」が額ではないことは明らかです。これは自分の生活にとって多くの意味を持つものをより多くささげることを言います。それは献金だけではありません。私たちの体も心もそうであり、所有物も時間も才能も。しかし、「生活費の全部」となると、彼女のその後は大丈夫?との心配が。彼女はイエスを良く知っていました。「あすには捨てられる野の草さえ、神は養い、美しく装うのだから、ましてあなたがたを養わないはずがない。(生活の)心配をやめよ」(ルカ12:24-31)との教えを知っていました。ですから自分の生活のすべてにおいて神を信頼していたということです。神を信じたのであれば、信じた通りの生活をすべきです。もう一つ大事な点は、他の人と比較せず、神の前に自分が一人で立つことです。他人との比較で勝ち誇りと悲観を繰り返します。ユダヤ指導者たちは常に他人と比較し、神の前に立つことを放棄しました(20:45—47)。その上での献金はじめ神へのささげものは実にむなしいものとなります。私たちにもこの危険性は十分あります。ささげる信仰を見直しましょう。そのことは、このあと、イエスが全面的にご自身をささげられる十字架の自己犠牲を受け入れる準備となります。そういう意味では、やもめのささげる信仰はイエスの十字架の予表とも言えます。