2017年5月21日 ルカの福音書 -祈るという戦い-

「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
ルカ22:42


講解説教No.116
ルカ22章39~46節

オリーブ山でのイエスの祈りは戦いの祈りです。弟子たちを誘惑していた悪魔が、今度はイエスの救いのわざを阻もうと直接戦いを挑んだのです。イエスはこの戦いを戦い抜かれます。そして勝利したイエスは私たちにも同じ祈りを要求されるのです。「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と二度も命じられた弟子たちは、悲しみの果てに眠り込んでしまいました。すべてを捨てて従って来た彼らにとって、「わたしを知らないと言います。」とのおことばはペテロ以外の弟子たちにも心に突き刺さりました。これを否定しきれず悲しみが増していったのです。自分に都合よく主を信頼していると言い、ほんとうは否定しそうになる信仰者の挫折する姿が弟子たちに象徴されています。これが誘惑に陥り祈りを失った人の姿です。そんな者に対してイエスは「起きて…祈っていなさい」と励まします。イエスご自身がその祈りを実践されました。「…この杯をわたしから取りのけてください」とは父なる神から見捨てられることへの拒絶です。父と交わることがイエスの何よりの望みでした。しかしその父のみこころは子を捨てることでした。父を愛するイエスは、父のみこころに従うことを一番にします。ですから、「わたしの願いではなく、父のみこころの通りを」と祈られたのです。これが起きて、祈るということです。私たちは「主よ、この問題を解決してください、助けてください」と祈ります。しかし問題から抜け出すことを願うだけでは試みに屈してしまいます。大事なのは「神の望まれる(みこころ)ことをなさってください」と祈ることです。前者の祈りだけなら、そのうちくたびれて来てしまいます。イエスがまずこの祈りをもって戦い勝利されたことを忘れないでください。祈り戦い抜かれたあと、イエスは「立ち上がり」(45)ました。この言葉は「復活する」と意味する言葉です。勝利したイエスは十字架の苦しみの後、死なれ、そして三日目に復活されました。この復活のイエスが起きて(復活して)祈れと、復活を根拠にした励ましをくださっているのです。「弱いあなたのために、わたしが祈り戦い抜いた。復活のいのちをもって、あなたとともにいる。だからあなたも復活のいのちによって起き上がる(祈る)ことができるのだ」と。