あなたがたは、わたしが毎日宮でいっしょにいる間は、わたしに手出しもしなかった。しかし、今はあなたがたの時です。暗やみの力です。
ルカ22:55
講解説教No.117
ルカ22章47~53節
なぜユダはイエスを裏切り敵に引き渡したのか?いろいろ説もあるようですが、聖書は一言、「ユダにサタンが入った」(3)と説明しています。要はサタンの誘惑に負けたのであって、それはペテロも、祈りを失い眠り込んだ弟子たちも同じです。人を神から引き離し救いを阻もうとするサタンは必死です。イエスが捕らえられた時弟子たちは敵を剣で切り付けました。この剣は、サタンの試みの中で、自分の力で戦おうとする人の力の象徴です。それは何の役にも立たずただ人を傷つけるだけです。これは強さから振りかざしたのではなく恐れからです。自分本位なことに使うおのれの力には愛がないため恐れが生じます(Ⅰヨハネ4:18)。イエスを捕えに来た指導者たちにも恐れが生じていました。だからこんな夜に弟子たちだけしかいないところで捕らえたのです(22:2)。彼らが引き連れて来た剣や棒を持つ「一隊の兵士」にも恐れがありました。実際彼らはイエスの前で恐ろしさのあまりあとずさりし、地に倒れてしまいました(ヨハネ18:3-6)。ユダだけでなくだれもがサタンのふるいにかけられていました。神の御心に従うよりも自らの力を振るいおのれを貫こうとして生き、その結果恐れに支配され互いを傷つけます。それがイエスの言う「今はあなたがたの時、暗やみの力」(53)なのです。そこで力を振るい、支配しているのは人間ではなく、背後のサタンです。神から引き離そうとサタンが利用しているのが「恐れの思い」です。そのような中、恐れから剣を振りかざす弟子を押しとめ、武装している者の傷をいやし、「だれを捜すのか」と捕えに来た者たちに身をゆだねておられる方がおられます。死闘の祈りによってすでにサタンに勝利している復活のイエスだけが恐れを不要としています。このイエスの強さと自分の弱さとを認め、受け入れるなら、負けても勝ちます(イザヤ60:2)。キリストが勝ってくださいます。