2017年6月4日 ルカの福音書 ーイエスのまなざしの中で生きるー 

主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、「きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う」と言われた主のおことばを思い出した。
ルカ22:61


講解説教No.118
ルカ22章54~62節

 イエスに従って行くのがクリスチャンの信仰です。しかし様々な困難にあうとき、恐れに捕らわれ、イエスから離れておぼつかない歩みでしか従うことができなくなるときがあります。捕らえられたイエスを遠目で見ていたペテロは、目撃者から次々と、「イエスといっしょにいた、仲間だ、確かに一緒にいた」と声をかけられます。そのたびに否定しました。そしてイエスの予告通り、三度目に否定している最中に鶏が鳴きました。彼は数時間前の食事の席で「わたしを知らないと言います」と指摘されたばかりなのに、なぜ最初に否定した時に気づかないのでしょう。彼が気づいたのはイエスが見つめられた時でした。このまなざしに込められたものは、先ほどイエスがペテロに語ったおことばを思い出させるものです(31-34)。サタンの試みの事実と、それに負けるペテロの弱さと、信仰がなくならないようにと祈られたイエスのとりなしの事実をもう一度アイコンタクトで語っておられるのです。信仰がなくならないようにとは、イエスとの関係が失われないようにということです。なくてならない関係を信仰者自らが断ち切ろうとするのを、イエスはどこまでも保ち続けようとしておられるのです。イエスがペテロに語られたおことばとまなざしは、信仰者との交わりを保とうとする強い意志の表れです。これに対するペテロの涙はイエスの愛に対して感極まった涙ではありません。自らの罪に気づかされた失望の涙です。聖書はこのあとペテロが信仰の挫折から立ち直ったとは語っていません。彼が立ち直ったのは、イエスがまずそのために十字架で死なれ、三日目に復活した、そのイエスにお会いしたときでした。ペテロは自分の力でどうにかするという望みを失いました。しかし彼は幸いです。自分の罪に絶望し、イエスの十字架と復活を心から必要としたからです。