2017年10月29日 ペテロの手紙第一 ‐神がほめたたえられますように‐

私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。
Ⅰペテロ1:3


 「神がほめたたえられますように」とは手紙の決まり文句のような安易なものではありません。この一文は聖書の中でも最も重要な祈りであることに気づかされます。なぜなら神がほめたたえられることは神のご計画の第一だからです。「ほめたたえる」という言葉が聖書の一番最初に使われているのは創世記1:22です。「神はそれらを祝福して仰せられた」天地創造の五日目、神は海と陸を分けられ、それぞれに水の中に生きる物と翼のある生き物とに創造されました。それを祝福されたのです。ここで神は双方に「ふえよ」と命じられました。ふえても水の生き物が陸に、空の鳥が水に生きることは命じても、赦してもいません。そのように「祝福(ほめたたえる)」は「分ける、区別する」という概念があります。また創造における七日目を祝福されたとき、他の一日目から六日目までとを完全に区別し、七日目を聖であるとされました。「聖である」」とは神のもの(所有)ということです。神のものとそうでないものとを区別することが聖であることの持つ意味です。そうすると、「神がほめたたえられますように」とは神が聖なるもの、すなわちご自分のものとそうでないものを分けるお方であることを指し示しているのです。そのような神ゆえになされるご計画が、「私たちを新しく生まれさせる」ことです。滅びの中から呼び出されて他と区別されるのです。新しく生まれるとは、イエスキリストが死者の中からよみがえられたことによって、生ける望みを持つようにしてくださったとあるように、朽ち果てる私たちの肉体を霊とともによみがえさせるということです。これは単なる望みではなく「生ける望み」です。叶うか叶わないか不確かなものではなく、イエスの復活を根拠に必ずよみがえるという望みです。新しく生まれるという生ける望みを4節では「朽ちることのない資産」と言い換えています。5節でも「神の御力によって守られており…救いを頂く」と言い換えられています。このように救いについて、これを聞く人たちに深みを増させているのです。試練の中で尊い救いを忘れることのないためです。救いは神から与えられた永遠の資産です。神が区別された永遠の所有地、天国の祝福が与えられます。イエスと同じ復活体を与えられた私たちは滅ぶべきこの地をうろうろとさ迷い歩かないのです。将来永遠の資産をちゃんと受け取ることが出来るように、神は今私たちを守ってくださっています。困難に会わないように守るのではなくて、困難があろうとなかろうと神の平安で完璧な守りを与えてくださっているのです。