2017年11月19日 ペテロの手紙第一 -心を引き締めよ-

ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
Ⅰペテロ1:13


講解説教No.5
Ⅰペテロ1章13~16節

 クリスチャンは悲しみのただ中で大いに喜ぶことができます。その説明を受けた手紙の読者たちは大いに励まされました。ただクリスチャンは激励されて終わりではありません。神に選ばれ、イエスと同じ復活体を頂き、永遠の資産を受け継ぐと励まされ、「ですから…心を引き締め、身を慎み…聖なるものとされなさい」と、救われた者としての応答が求められています。心を引き締めるとは、力仕事や走る時に当時の裾の長い服を腰帯でギュッと締めるニュアンスです。試練の中だからこそ、「よし、やるぞ!」といった姿勢が求められています。「身を慎め」とは「酔っぱらうな」とのもとの意味で、酒にも主のおしえ以外の考えや思想にも酔うなとの勧めです。つまりクリスチャンとして前後不覚にならず、平静で冷静な判断を保つことが求められています。気合を入れて単に心を引き締めていては身が持ちません。必ず実現するキリストの再臨を保証として心を引き締めると良いのです。また、従順な子どもとなることも求められています。キリストを手本とした生活を送ることです。消極的には欲望に従わない生活です。欲に従う人の特徴は「無知」です。無知とはイエスを知らないことです。救いのための世の光、救われた者がどのように歩んだらよいかの道しるべとなる方を知らないとなると、自分の好きなように歩むほかないのです。欲に引かれる人は強い意志を持とうとするのではなく、イエスを知ろうとしてください。最後に「聖なるものとされなさい」との勧めです。心引き締め、身を慎み、従順になることが聖なるものとされることです。このような歩みは無理だと考える人は「聖なるものとなる」と考えている人です。聖書は「聖なるものとされなさい」と勧めています。聖とするのは私たち自身ではなく神です。そうならば必ずできます。神がさせてくださいます。