2018年2月25日 海の道、砂漠の道 

見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、わたしは荒野に道を、荒地に川を設ける。    イザヤ43:19

イザヤ書43章15~21節

上記のパウロの教えを、ペテロの手紙第一の講解説教でちょうど味わっています(以下Ⅰペテロからの引用箇所を記す)。様々な生活の権利はもちろん、人権さえも認められない「しもべ(奴隷)」と呼ばれるクリスチャンたちに勧められた聖書の教えは何でしたか?横暴な主人に対しても尊敬の心を込めて服従することです(2:18)。主の教えに従わなければ、ただ理不尽なだけです。しかし主の教えのとおりに地上の主人(雇い主)に従うと、無限に祝福が広がります。聖書は弱者の立場で従えと言っていません。確かに地上の立場はローマ社会における奴隷の身です。しかしクリスチャンの本当の姿は選ばれた種族、聖なる祭司、神の所有の国民です(2:9)。つまり真の「自由人」(2:16)としての立場で従うのです。この立場を自覚しているクリスチャンは地上で主人(雇い主)や、「みことばに従わない夫」に従う理由を知っています。彼らが神のものとされ(3:1)、救われるためです。「あなたがたが召されたのは、実にそのため」(2:21)なのです。今後の生活に「福音のために」という目的をしっかり入れてみてください。そうすれば、職場で苦しい思いをされたり、家庭で孤軍奮闘する試練と言われるその意味がわかって来ます。試練による信仰の成長は自らのためにあるのではなく、「福音のため」という神の栄えのためにあるのです。そのはき違えを教えのとおりを行って修正しましょう。そうすれば、職場で、家庭で、学校でというふうに、あらゆるところで福音のために生活することができます。