2018年3月4日 ペテロの手紙第一 -従いなさい 妻のふるまい-

同じように、妻たちよ。自分の夫に服従しなさい。たとい、みことばに従わない夫であっても、妻の無言のふるまいによって、神のものとされるようになるためです。
Ⅰペテロ3:1


妻は夫に従いなさい、とりわけみことばに従わない夫にと勧めています。当時の社会での女性の立場は悪いものでした。結婚生活では特に、夫はどんな理由でも妻が嫌になれば離婚することが許されていました。夫が別の宗教を持っていて妻がクリスチャンになれば厳しい立場に追いやられました。それでも聖書はなぜ従うことを要求するのでしょうか。妻の無言のふるまいによって夫が神のものとなるためです。無言のふるまいとは別の言い方としては「心の中の隠れた人がら」のことです。夫からどんな仕打ちを受けたとしても妻は御国の民です。悪い仕打ちをする側は罪に支配されていて自分本位なことをしないではいられません。しかし御国の民であるクリスチャンは自由ですから、みことばに従わない夫に対しても従うことができるのです。「無言」というのは女性が自分自身を主張することが許されなかった社会的背景からも来ています。なおさらのこと、言葉ではなくふるまいが求められたのです。見えない証しによって夫が神のものとされていくのです。それは妻の神を恐れかしこむ清い生き方を見ることになるのです。身だしなみの良さは必要ですが、外面的な着飾りではなく、心の中の隠れた人がらを飾りにするように勧められています。隠れた飾りは柔和で穏やかな霊から来ています。柔和とは人がらからにじみ出る優しさのことです。この柔和さが夫に従うことを可能にするのです。このような妻の魅力は外面的なもの以上です。サラは夫と共に三千キロ以上も離れている郷里を出て夫に従った女性です。行くべき地も示されずに出て行き、約束の子が超高齢になっても与えられず、従って何の得があるのかと思うほどでした。しかしサラは夫に従ったのです。私たちもそのように「どんなことをも恐れないで善を行う」者でありたいのです。