2018年8月12日 修養会「キリスト者生活」 第二集会  ピリピ4章12節

終わりの日に甦るその日まで只神の栄光のために

「クリスチャン生活を送る場所」(1)
教会・家・職場・地域・諸宗教の行事・健康問題の対処

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。           
ピリピ4:12



修養会の第一集会で語られたことをまとめました。

キリスト者である(救われた)ことと、キリスト者としての生活は別です。神の救いにあずかったキリスト者であることは事実ですが、キリスト者でないかのような生活をしている人もいるということです。私たちは目に見えない神への信仰を、目に見える生活であらわしていかなければならないのです。キリスト者として生活していく上で大切なことは認罪意識です。上田晃師は癌を患ったときに強い認罪意識を持ちました。自分はさばかれてしかるべき存在で、律法のすべてを破っている者だと認めずにはいられませんでした。そのような地獄相当の者のために、罪のないイエスキリストが身代わりとなってくださったのです。主のあわれみは尽きません。このように、キリストを信じて救われた時以上の悔い改めの行為がそこにはありました。教会生活を正しくはじめるためには、本気の悔い改めが必要であるということです。天には二つの書があり、一つは行いの書です。そこには名前とその人が行ったことすべてが書かれています。もう一つはいのちの書です。そこには名前が記されています。もしいのちの書に名が書き記されているなら、行いの書にどんなひどい行いが書き記されていたとしても、赦されて天に入れられるのです。ただいのちの書に名が書き記されていることを喜びなさいとはこのことです。この愛と赦しのお方を知れば知るほど認罪意識を深めるでしょう。こんな罪人を赦してくださったとの真の悔い改めと感謝の心が教会生活を正しくはじめさせてくれます。そうすればキリスト者としての生活が伴うでしょう。互いにねたみ合う生活から、愛し合う生活へと変えられます。