2018年9月30日 ペテロの手紙第二 ー聖書の根源ー

なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。
Ⅱペテロ1:21



講解説教No.10
Ⅱペテロ1章20、21節


 ペテロは、聖書がいかに大切であるかという理由を前節に続いて説明します。イエスが神としての御姿を見せてくださった「変貌の山」の体験談は、イエスの再臨を否定する偽教師たちを黙らせるのに十分でした。しかしペテロはその体験より聖書のことばのほうがはるかに確実であることを教えました。その聖書のことばに「目を留めていると良いのです」と語ったのが前回までの話です。その続きで「それには何よりも次のことを知っていなければ」と、最も重要なこととして「聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない」と教えました。聖書は聖霊の助けを祈りながら、字義通りに、文脈に沿ってことばの意味を見出していくものです。そのように、解釈に関する警告を語りましたが、同時にもう一つのことを語っています。それは聖書のことばそのものがどのようにして生じたのかという聖書の根源のことです。人が聖書の根源ではなく、神ご自身が聖書の根源であるということです。聖書にはダビデ、パウロ、ペテロとそれぞれの意見、解釈が記されているのではありません。聖書に人間の意見は全く含まれていないのです。すべて神が物事をどう解釈しておられるのかということが書かれているのです。そもそも聖書の原著者は聖霊です。聖書がいかに大切かの二つ目の理由です。聖霊が聖書を書き記す必要があったのは、神のことばをご存じなのは神しかいないからです。神のみこころ、神の解釈を知っているのは神だけで、人間が知るはずもありません(Ⅱコリント2:9)。それをあたかも知っているかのように書き記し、教えたのが偽教師たちです。神が私たちに対して、聖書を書き記し、大切なことを知らせようとの意思をもって知らせてくださらなかったら、何一つ知ることは出来ないのです。この聖書にいかに敬意を表すかは私たちの責任です。