コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ…。
Ⅰコリント1:2
講解説教 №1
Ⅰコリントロ3章1-3節
コリント教会には様々な問題があったようで、その対処のために手紙が書かれました。ただ手紙を書いたパウロとしては、単に対処法を記したのではなく、彼の願いはコリントのクリスチャンたちが神の祝福にまず目を留めるようになることでした。それは冒頭の挨拶からもわかります。パウロは「コリント教会へ」としないで「神の教会へ」としました。滅びの中から神に呼び出された人たちの集まりが教会です。それは神のものです。その教会を自分のしたいようにすると問題が増えるでしょう。しかし神のご意志を尊重するなら問題は減ります。また、神の教会は「主の御名を呼び求めている人々」です。これは継続して御名を呼び求め続けている礼拝者であるという意味です。教会を終えて平日の生活を送ると、忙しさもあり、神様のことを忘れることがあります。それでも心の内には神に対する思いがずっとあるのです。問題を抱えていても礼拝者です。二つ目、神の教会は「聖徒として召されている人々」です。神に属する人と世に属する人は違うということが言わんとしていることです。多々問題があっても救いに与った人はみな聖徒です。その祝福に目を留めさせて、彼らを正しい道へ戻そうとしているのです。三つ目、神の教会は聖なるものとされた人々です。キリストの犠牲によって罪が完全に赦された人のことです。素晴らしい祝福です。どんなに多くの問題を抱えていても、罪の中にあったとしても、神の教会に属する人は、完全に罪が赦されています。世に属する人とは本質的に違います。どんな状況でもずっと礼拝者であり続けることが出来ます。これらの事実に立って、初めて問題の対処に移ることが出来るのです。