2020年4月12日 復活記念礼拝 -いつまでも主とともにいる-

私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスといっしょに連れて来られるはずです。     
テサロニケ4:14


Ⅰテサロニケ4章13-18節

 テサロニケのクリスチャンたちは、キリストの再臨の際に、既に亡くなっているクリスチャンが果たして復活するのかどうか、不安を抱いていました。テサロニケ教会の設立はパウロによるものですが、当時迫害が激しく、パウロはおよそ3週間の期間しかテサロニケにいることが出来ませんでした。そのため聖書教育が十分に行うことが出来なかったのです。彼らの不安の最大の原因は、聖書を知らないところにあります。全世界的な規模で人々を脅かすウイルスによって不安に陥らないためにも、聖書のことばが必要です。イエスは、世の終わりがエルサレム神殿崩壊から話が進んで行くと言われました(ルカ21:6)。ユダヤ人にとって神殿崩壊は、信仰、文化、生活全体の崩壊という象徴的な意味を持っています。そのことはベルリンの壁の崩壊、同時多発テロによる貿易センタービルの崩壊、そして東日本大震災にも通じることです。これらのことは世の終わりの前兆であることが聖書からわかります(ルカ21:7~)。つまり今回の新型コロナウイルス感染についても同じことが言えるのです。私たちが恐怖や不安に陥らないためには、それが世の終わりの前兆であること、世の終わりに際してすべき準備を聖書から知ることが必要です。ですからパウロは、テサロニケの方々に「知らないでいてもらいたくありません」と言ったのです(4:13)。死者の復活は「イエスが死んで復活されたことを信じている」(4:14)ところから始まります。死者の復活は、朽ちるものから朽ちないものへの変化です(Ⅰコリント15:51)。「朽ちる」ことの認識は疑う余地がありませんが、「朽ちない」ことの認識がどうかです。死んだ肉体が火葬されて、灰になり、お骨が壺に入れられるわけですが、その人がどのように復活するのだろうと考えること自体、「朽ちない」ことの認識が出来ていないことになります。聖書はさらに、朽ちるものから朽ちないものに変えられることについて、「朽ちないものを着る」「不死を着る」と表現しています(Ⅰコリント15:53)。朽ちるものの上に朽ちないものを着るのではありません。「着る」というとき、朽ちない者へと変わることを意味しています。イエスの復活を信じている人は、朽ちるものから朽ちないものへ一瞬にして変えられます。朽ちないものへの変化は、「いつまでも主ととも(永遠)にいる」ことが目的です。今私たちは「これらのことば」をもって慰め合い、平安を保つのです。