2020年4月19日 コリント人への手紙第一 -礼拝の秩序-

しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。Ⅰコリント11:3

講解説教№45
Ⅰコリント11章2-16節

 パウロはコリント教会の礼拝において、姉たちはかぶり物を着けよ、兄たちは着けるべきではないと指示しました。「かぶり物」はコリントの特殊な社会事情で、神殿娼婦が大勢いた不道徳な町の中で、女性が町を歩く時、きよさを示すものとして、かぶり物を着けたようです。教会の中でのかぶり物の問題は、偶像にささげた肉問題と共通していて、「信仰者として自由と権利があるのだから、かぶり物に振り回される必要はない」と主張する姉たちがいたのでしょう。パウロが問題視したのは、かぶり物をどうするかということではなく、礼拝の秩序の乱れです。かぶり物について「男」も言及されていることから、姉たちと対立的になったと考えられます。そこでパウロは聖書の大原則を示します。「すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です。」(3)創造の順序、秩序として、「神→キリスト→男→女」と示しました。キリストのかしらが神なのは、本質としては同じ神ですが(ヨハネ10:30)、キリストは父から遣わされた者なので(ヨハネ14:24)、その順番になります。男のかしらがキリストなのは、キリストが創造者であり(ヨハネ1:3)、男アダムの原型だからです。女のかしらが男なのは、まず男が先に造られ、その助け手として女が造られたからです。そのことから女は男の栄光を反映しているのです。男がかぶり物を着けるべきではないと言ったのは、男は神の似姿として、神の栄光を反映するものだからです。その男にかぶり物をしたら神の栄光の反映を隠すことになります。女がかぶり物を着けないと、男の栄光をそのまま反映します。しかし、そうすると、その先のキリスト、神の栄光を反映させなくなります。女がかぶり物を着けたら、それは神の権威のしるし(10)を着けたことになり、神の栄光を反映します。この順序、秩序はとても大切です。結論を出しましょう。かぶり物(コリントの特殊事情)…礼拝が混乱しました。女は着けよ、男は着けるべきでないと。このことは創造の秩序に基づいて、神(キリスト)の栄光が礼拝において現されるためです。かぶり物の習慣はパウロにも、立川教会にもありません。そこはコリントにおける適用です。問題は、神→キリスト→男→女の大原則です。これで礼拝の秩序が保たれ、神の栄光が現されます。そうすると、地上の使命である宣教の働きが前進します。