2020年5月31日 コリント人への手紙第一 -霊の賜物について(1)~聖霊と賜物~ -

さて、兄弟たち。御霊の賜物についてですが、私はあなたがたに、ぜひ次のことを知っていただきたいのです。
Ⅰコリント12:1


講解説教№49
Ⅰコリント12章1-3節


 「ぜひ次のことを知っていただきたい」とは、御霊の賜物についてですが、それを知らなかったために、コリント教会では、礼拝の秩序が乱れる問題が生じていました。賜物とは宣教のわざを助け、導くために、聖霊が教会のひとりひとりに与えてくださる霊的なもののことを言います。まず知るべきことは、賜物と聖霊との区別と、その関係です。賜物について考えて行くとき、聖霊のご性質、聖霊のお働きの目指す方向に沿って考える必要があります。そうでないと、個々の賜物のあるなしや、その価値の優劣を議論する混乱が生じます。賜物について考える基準として、まず教えたのが、信仰者がキリストを信じて救いに導かれた道筋を思い起こさせるところからです。このことは、聖書が示すキリストを信じる信仰と、異教宗教の信仰との違いを知る上で重要です。「あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。」2節のこのことばは、2017年版では「…誘われるまま、物を言えない偶像の所に引かれて行きました」となっています。異教徒の特徴は、自分が信じている対象が何であるかを知らない無自覚さです。だから人間の側で好き勝手に神のイメージを造り上げて、崇拝し、心の平安を得ようとします。それに対して、クリスチャンは信じる対象が、イエスキリストとはっきりしています。この方は肉体を取って人となられた神であり、人間の罪をすべて負い、身代わりとして十字架で死なれたお方であり、三日目に死者の中から復活され、信じるすべての者に罪と死の勝利である永遠のいのちを保証されたお方です。教会は、このイエスキリストを告白し、宣べ伝えて来たのです。またキリストは宣教の働きを導くために、教会に聖霊を与えてくださいました。これらのことが示す第一の点は、私たちが神を知るには、神のほうからご自分のことを示す「啓示」という行為抜きにはあり得ないことです。人間のほうから神を知り得ることは不可能です。第二の点は、その啓示の意味を理解させる働きが聖霊であるということです。
聖霊は、キリストの救いのわざを一人一人の人間に与えていくために教会に与えられています。この方の働きによって初めて「イエスは主である」と告白できるのです。聖霊は、神の救いの計画を成就させるために、宣教に従事する教会のクリスチャンたちに賜物を与えておられます。「賜物」という言葉は、「カリスマ(神の恵み)」という言葉の複数形が「賜物」です。神の恵みの様々な現れが賜物ということです。賜物の源は神です。賜物は神の恩恵であり、神の働きです。与えられた賜物について、そのことを特に忘れることなく注意せよとパウロは教えています。だから、まず、「聖霊によるのでなければ、だれも、『イエスは主です』と言うことはできません」と教えたのです。このご聖霊の存在抜きに、教会で色々なことを行ってはならないのです。大切なことは、この方の与える霊の望む方向で、賜物の理解、その活用のあり方を心がけなければなりません。