2020年6月21日 コリント人への手紙第一 -御霊の賜物について(4)~キリストに真実に従うための働き-

そして、神は教会の中で人々を次のように任命されました。すなわち、第一に使徒…
Ⅰコリント12:28


講解説教№52
Ⅰコリント12章27-31節


 教会は生きたキリストのからだです。そのこと故に、本来対立するような人間関係であっても、御霊によってバプテスマを受けた者たちは互いを尊び、いたわり合うのです。そのように教会を、神のわざ、ご聖霊の働きとして見て行きます。キリストのからだとしての教会に一番大事なことは、かしらであるキリストにそれぞれが聞き従うことです。28節に挙げられている働きは、教会がキリストに聞き従うことができるためのものです。最初の3つの働きには序列があります。「使徒」は、主の復活の証人として、教理上の土台となる教えをする働きです(参 エペソ2:20)。「預言者」は使徒の教えを解き明かして説教する働きです。「教師」は説教されたものを生活に適用させる働きです。これらの働きを見てもこの順序でなければならないのがわかります。この3つの働きに対して、「それから奇蹟を行う者…」以下の働きが区別されています。これは、教会がかしらであるキリストに聞き従っていくための働き(みことばの働き)を優先しているということです。まずこれらの働きがあって、他の賜物が整えられて、生かされるのです。エルサレム教会の配給の問題で、使徒たちが、「私たちが神のことばをあと回しにして、食卓のことに仕えるのはよくありません。」(使徒6:2)と言って教会が決議したことは、どんな問題が起こったとしても、教会の土台となるみことばの働きを二次的な位置に置かないというものでした。コリント教会の異言を語る賜物の人たちが自らを誇るなら、それはかしらであるキリストに逆らっていることが、これらの教えで明らかです。パウロは最後に、「よりすぐれた賜物」を求めること要求しています。それは賜物の根源である愛です。愛こそがすベテの働きの根源に置かれなければなりません。それぞれの賜物の働きは種々に分かれ、外に現れるものです。愛はより内面的なもので、その人の行動の動機となるものです。みことばの働きの人も、この愛がなければ、その働きはむなしいものになります。私たちは、これらの教えを共通の認識として持ちたいのです。みことばの働きの人たちだけが持つのではなく、からだ全体が持つのです。