2020年8月23日 コリント人への手紙第一 - 死者の復活について(4) ~キリストの復活~ -

しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。   Ⅰコリント15:20 講解説教№61 Ⅰコリント15章20-28節 「もしキリストがよみがえなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく…」(15:17)「キリストに単なる希望を置いているだけなら…一番哀れな者です」(15:19)死者の復活を疑うクリスチャンは、これらの論理のとおり、喜びのない委縮した信仰生活を送ることになります。しかしパウロは、「今やキリストは…死者の中からよみがえられました」と断言しました。私たちも復活に確信のない人に、或いは未信者に対して、そう断言出来たら幸いです。死んだ者の「初穂として」の復活とは、第一に復活のキリストが神に属する神のわざであること、第二に初穂の後に多くの収穫が続く、すなわち、キリストに続いて私たちが復活するということです。死はアダムによってすべての人に及びました。それは罪の転嫁によるものです。つまり罪の責任を他人になすりつける悪意によって、全人類に罪と死がまん延したのです。それに対して死者の復活はキリストを通して、その明確な意思によって来ました。復活の順序は、まず初穂のキリスト、次に再臨時に、先に死なれたクリスチャン、次に生き残っているクリスチャン(Ⅰテサロニケ4:16)です。クリスチャンたちがよみがえらされてから、世界の終わりが来ます。そのときに、それまで存続していた地上のあらゆる支配(君)、権威、権力という勢力が、キリストによって支配されます。最後の敵である死が滅ぼされるに至るまでの支配です。人間の肉体も霊も破壊したのが罪であり、その罪の結果死です。罪と死が存在し続ける限りは救いの完成はありません。この論理から、私たちは死者から復活しなければならないのです。このことはキリストの再臨のときに必ず起こります。今はまだその時ではないので、死の力の効力が私たちを苦しめます。しかし、キリストは既に死に勝利し、死者の中からよみがえられています。ですから死が滅ぼされての完全勝利は時間の問題です。キリストは死と悪魔に王手を打っていますが、相手は「まいりました」と言わずにあがいている状態です。キリストの支配の事実と、悪の支配もある意味事実です(滅亡が決まっていますが)。どちらを信頼するかで、その人の信仰生活が否定的になるか、肯定的になるか大きく左右します。死に対しては特にです。キリストの支配に身を任せた人の死は終わりではありません。死は負けたのです。復活の勝利です。