2020年1月3日 新年礼拝 「主と交わる その1」

神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。 Ⅰコリント1:9 Ⅰコリント1章1-9節 主イエスキリストとの交わりとは、パウロが手紙の中で繰り返し語っている言葉に見ることが出来ます。それは「キリストにあって」という言葉です(2,4,5節)。原文は「キリストの中に」となります。パウロがコリント教会の兄姉たちのことを神に感謝しているのはここからから来ます。争いが絶えずあり、自分本位さで礼拝を混乱させ、除名しなければならない罪を黙認しと、感謝する要素など全く見当たらないコリント教会に対して「いつも神に感謝」できるのは、「キリストにあって」だからです。彼が感謝している神の恵みは、キリスト「から」与えられた何らかの恵みではなく、キリストの中で与えられた恵みです。キリストが彼らを聖なる者としてくださったのではなく、彼らがキリストの中にある者とされたので、聖なる者となったのです(2節)。また彼らはキリストによって言葉と知識が豊かにされたのではなく、キリストの中、すなわちキリストご自身の言葉と知識が豊かだから、彼らが豊かにされたのです(5節)。そのように、主との交わりは「キリストの中に」に現されています。2020年の兄姉の恵みの証を伺い、そこに見る神の臨在を喜びたたえました。その溢れる恵みは、ひとりひとりがキリストの中にいるからです。コロナにおける試練が恵みとなったのではなく(試練はそれを手伝いましたが)、本質的には、キリストの中にいるからです。私たちはまず、キリストとの交わりに入れられていることを感謝しましょう。まだ交わりに入れられていない人は、イエスキリストを罪からの救い主であることを信じましょう。キリストとの交わりは私たちを豊かにします。主のことばと主の知識(信仰の知識)は私たちを確かな存在とします。しかし、もし、キリストから離れたならば、乏しくなります。キリスト以外のもので豊かになることはあるでしょう。しかし、信仰者の集まりである教会は健全には成長しません。次に、自分以外の兄姉もキリストとの交わりに入れられていることを覚えましょう。その人はクリスチャンとして正しいことをしたから聖なるものとされたのではありません。キリストの中にいる故にそうなのです。繰り返しそう見て行くならば、批判や文句は減り、神への感謝が内から湧いてきます。