2021年1月17日 勇気を失わない

こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めに任じられているのですから、勇気を失うことなく、   Ⅰコリント4:1 コリント人への手紙第二講解説教№8 Ⅱコリント4章1-5節  パウロは、自身が「キリストを知る知識のかおりを放つ」務め(2:14)、或いは「新しい契約に仕える」務め(3:6)、すなわち福音の務めにつく使徒として、コリント教会の兄姉に訴えました。それは彼らとの信頼を回復し、教会を健全に建て上げて、教会が宣教に従事できるためです。4章に入り、パウロは福音の務めにつく者として勇気を失わない(落胆しない)と断言したのです。パウロが強いから勇気を失わないのではありません。この務めに神のあわれみによって任じられたから勇気を失わないのです。私たちに対する神のあわれみは観念的なものではなく、具体的な行動が伴うものです。パウロに対する具体的なあわれみは、弟子のアナニヤを通して与えられました。昨日までキリスト信仰者を迫害していた者が回心してクリスチャンになった!?と言っても誰もが信じがたいことだったでしょう。アナニヤが仲介することで彼は教会に受け入れられ、福音を宣べ伝える務めが与えられました。パウロへのあわれみは、神のご計画という偉大な務めを担うためです。このあわれみゆえに勇気を失わないのです。反対に、常に勇気を失ってしまう人は、「恥ずべき隠された事」を行い、「悪巧みに歩」み、「神のことばを曲げ」る人です(2) この人たちは神のあわれみによって務めについていないため、自分勝手に福音の働きをしている人たちです。しかし私たちは勇気を失わないので、「真理を明らかに」する大胆な生き方をします。真理のことばを語ることと、他の人たちの前で真理のうちに生きることで明らかにします。それは人々を何とかキリストのところへ導くためです。この人はあくまでキリストを宣べ伝えます。おのずと自分自身は舞台裏に下がり、自分自身のことなど語りません。人々がキリストのところに導かれるために、常に準備をしておくしもべに徹するのです。このように主のあわれみを受けて、この働きに任命されたからこそ、勇気を失わないのです。