2021年5月2日 「生かす悲しみ」がもたらす祝福

ご覧なさい。神のみこころに添ったその悲しみが、あなたがたのうちに、どれほどの熱心を起こさせたことでしょう。また、弁明、憤り、恐れ、慕う心、熱意を起こさせ、処罰を断行させたことでしょう…」 Ⅱコリント7:11  コリント人への手紙第二講解説教№20 Ⅱコリント7章11節-16節 神のみこころに添って悲しんで悔い改めた者にもたらされる祝福は、第一に「熱心」です。第一の手紙で厳しく戒められ、「神の恵みをむだに受けないように」(Ⅱ6:1)と指摘されても、コリント教会の兄姉は自分たちの罪に対して無関心でした。そんな彼らが悲しんで悔い改めたことで、罪に対して熱烈な関心を抱くようになりました。第二に、「弁明」です。彼らは教会において何が問題であるか、その事実を明らかにして、を得ることに努めるようになりました。その問題でこれ以上非難を受けないようにです。理解それは自分の失敗をはっきりさせることなので、簡単にできることではありません。しかし主のみこころに添って悲しむ者には出来るのです。第三に「憤り」です。罪を黙認し続けて来た自分自身に対する憤りです。自分の罪を認めることも、他人の罪を指摘することも難しいことです。罪と向き合うかかわりは心を大いに使うからです。第四に「恐れ」です。慰め主である聖霊は、私たちの罪の真相を示し続けて悔い改めることを助けてくださるお方です。それが分かる人には神への恐れが生じます。しかし、悔い改めない人にとっては、そのような神の存在は苦しく、煩わしいものとなるでしょう。第五に「慕う心」です。切望するということですが、間違いを間違いとし、不正が正されることに対する切望する思いが与えられます。第六に「熱意」です。教会の中にある罪に対して、痛みと悲しみをもって処罰する熱意です。 パウロは、神のみこころに添って悲しみ、このような祝福を与えられたコリント教会の兄姉に対して「全幅の信頼を寄せることができる」と言いました。それは今後、彼らが失敗したり、罪を犯す可能性がないから信頼したのではありません。 自分の罪に真摯に向き合い、問題に対処し直した態度を取ったから信頼したのです。これからも罪を犯すことがあるでしょう。罪を犯す弱さがあるからこそ、慰め主の助けを大いに頂き、神に従いながら生きるのが私たちなのです。