2023年6月25日 説教テーマ「望み、喜び、忍耐、祈り」

望みを抱いて喜び、苦難に耐え、ひたすら祈りなさい。 ローマ12:12 偽りのない愛の生活の一つは、勤勉であることです。自分の仕事や自分の奉仕における勤勉さではありません。「勤勉」は「急ぐ」、「怠る」は「躊躇する」という元の意味がありますが、それは前節の相手を尊敬することにおいてです。つまり兄姉を尊敬することにおいて急ぐ、ためらってはいけないということです。批判することにおいてはいつも急ぎですが、尊敬することはいつになったら?聖書の述べるとおり、急いで尊敬!を取り組むとすれば、大きなエネルギーが必要です。私たちのうちにはないエネルギーなので、次の「霊に燃え」という勧めが必要になります。聖霊の炎をけしてしまわないということです。それを消すものは、罪、人の伝道、慣例、人が作った規則、不一致など。霊に燃えることは、がっつりと奉仕しようと言うことではありません。むしろ地味です。聖霊の炎を保つために、主に仕える生活を築くことです。それは複雑ではありません。既にいただいた救いに感謝して生活し、未だ完成していない救いの完成を心待ちに生活することです。さて、12 節は、9~11 節までの偽りのない愛の生活を行ったことによる祝福が記されています。第一に望みを抱いて喜ぶ祝福です。幸福であるが故の喜びとは違います。望みを抱くのであっ て、それは「神の栄光にあずかる望み」(5:2)であり、「子にしていただくこと、からだが贖われること」(8:23)です。救われたとはいえ、日々悩み苦しみを引きずるからだです。それが完全に贖われる時が来ます。それは地上で実現する望みではありません。地上ではどんな望みがあったとしても死によって失われます。しかし私たちが抱く望みは死んでも奪われません。既にキリストが死者の中から復活して、死を呑み込んでおられますから。この望みを抱くことができる、こんな祝福はありません。さらにこの望みを抱く人は、苦難にも耐える祝福を頂きます。地上の苦しみのボスは死です。その死はイエスが解決済みですから、この方に望みを置く人はどんな苦難でも耐えられるのです。望みを抱き、苦難に耐えることのできる生活は、祈りによって守られます。主と交わりがあるから守られるのであって、祈りの行為が守 るのではありません。「ひたすら祈る」のは絶え間ない交わり、主への依存です。これは祝福です。