それから弟子たちに言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
ルカ12:22
講解説教No.70
ルカ12章22-30節
自分の命とからだに関する心配ごとにはどんな事がありますか?当時の人たちは「食べる、着る」でした。そんな心配の真っ最中の人たちに、イエスは「今(心配を)やめなさい」と禁止令を出されました。心配しなくても良い根拠となるものがなければ言えないことです。心配してはいけないのは、「いのちは食べ物よりもたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです」(23)。もし神がいのちのように大切なものを私たちに与えてくださったのであれば、そのいのちに必要なものを必ず備えてくださるということです。『いのちは誰のものか?』の問いに、ちゃんと答えを持っていなければなりません。聖書は、いのちは神のものと言う前提で話しています。いのちをくださった神が養ってくださることがわかるように身近な例を示しました。今そこに飛んでいる鳥は種まきも刈り入れもしない。そんな一羽も神は養っておられる。また、ここに咲いている野ゆりも紡ぎも織りもしない。明日には刈り取られてしまうそんな花さえ、神は美しく装ってくださる。それらよりはるかにすぐれた人間を神は必ず養い、装ってくださると、その真理をよく考え悟りなさいと教えています。考えるべきは私たちが優れていることではなく、神が私たちを養っておられる事実です。心配事を中止せよとの命令は、養うお方を信頼しなさいという命令であることがわかってきます。心配が絶えない人たちを「信仰の薄い人たち」(28)と言われました。信頼すると口で言いながら、実際の生活では、仕事のこと、人間関係のことなど信頼していない状態があるのです。イエスは日常生活のことであれやこれや捜し求め、気をもむことは神を信じていない異邦人が切に求めていることだと指摘されました。信じていないのだから、当然のことながら自分の命とからだを自分が養わないといけません。しかしイエスは、「あなたがたの父は、それがあなたがたにも必要であることを知っておられます」と言われました(30)。親は子の本当の必要を知っています。そういう人格的な信頼関係に着目すべき言葉です。さて、私を本当に養うのは誰なのか?自分自身か、神なのか?そして、これからも心配し続けていくのか、それとも、もう心配を止めるのか?
2016年4月10日 週報より報告
【日曜学校進級式】
☆4月3日(日)進級式が行われました。幼稚科、小学下級科、小学上級科、中学男子科、高校男子科、中高女子科、成人科とそれぞれ進級し、新クラスがスタートしました。10名の教師たちで信仰教育にあたります。この働きのためにお祈りください。
【本日の予定】
☆本日は第二週のため午後礼拝はありません。
☆清掃後、聖歌隊の練習を行います。
☆聖歌隊後、日曜学校教師会を行います。
【予定】
☆4月16日(土)13時から青年会の聖書の学びを行います。
☆4月30日(土)教会墓地の清掃(草取り)に行きます。兄弟会中心に企画します。詳細は後日お知らせします。
☆5月14(土)13時30分から奥多摩霊園で墓前礼拝を行います。
【JBBF諸教会】
☆以下の教会の牧師、副牧師、伝道師就任及び退任のお知らせです。
①滝山教会、就任:鄭永建副牧師、デボア美知子伝道師。退任:須藤真砂恵伝道師、中畑基伝道師(3月20日付け)
②岡崎教会、就任:疋田建次牧師。退任:上田晃牧師。(3月20日付け)
③太田教会。就任:佐藤一彦牧師。退任:能吉雄牧師(3月27日付け)
☆4月3日(日)進級式が行われました。幼稚科、小学下級科、小学上級科、中学男子科、高校男子科、中高女子科、成人科とそれぞれ進級し、新クラスがスタートしました。10名の教師たちで信仰教育にあたります。この働きのためにお祈りください。
【本日の予定】
☆本日は第二週のため午後礼拝はありません。
☆清掃後、聖歌隊の練習を行います。
☆聖歌隊後、日曜学校教師会を行います。
【予定】
☆4月16日(土)13時から青年会の聖書の学びを行います。
☆4月30日(土)教会墓地の清掃(草取り)に行きます。兄弟会中心に企画します。詳細は後日お知らせします。
☆5月14(土)13時30分から奥多摩霊園で墓前礼拝を行います。
【JBBF諸教会】
☆以下の教会の牧師、副牧師、伝道師就任及び退任のお知らせです。
①滝山教会、就任:鄭永建副牧師、デボア美知子伝道師。退任:須藤真砂恵伝道師、中畑基伝道師(3月20日付け)
②岡崎教会、就任:疋田建次牧師。退任:上田晃牧師。(3月20日付け)
③太田教会。就任:佐藤一彦牧師。退任:能吉雄牧師(3月27日付け)
2016年4月3日 ルカの福音書 -貴方の人生を決定づけるもの-
そして人々に言われた。「どんな貪欲にも注意して、よく警戒しなさい。なぜなら、いくら豊かな人でも、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」
ルカ12:15
講解説教No.69
ルカ12章13-21節
「どんな貪欲にも注意して…」と教えていますが、このイエスの教えと私たちの「貪欲」の理解と大きく違います。自分の正当な取り分を超えて欲しがることを貪欲と言う一般の理解に対して、イエスは、自分が持っている物によって自分の命を得ること(生きること)ができると思っていることが貪欲と教えました。お金に限らず能力や才能、美貌やスタイルも財産と言うことができます。それらを豊かに持っていたとしても、それによってその人の人生を決定づけるものではありません。それを求めていることは自覚のある無しにかかわらず、貪欲の支配の中にいるということです。このおしえを具体化したたとえが教えられています(16-20)。人生これから!というときに命を失うことはあります。自分に財産があっても死を免れることは出来ないということも教えられます。またその財産は他の人へ手離さなければなりません。このたとえの金持ちが「愚か者」と言われたのは、自分で得たもので生きることができる、それで人生が決まると思っていたからです。神のものである命さえも「自分のたましい」(19)と言って神を完全に抜きにした発想、生活をして来たことが愚かと言われた原因です。人のいのちは財産にあるのではない、神にあるのです。イエスが教えられたことは、人に命を与え、日々をそれを保ち導き、そして定められた時にそれを取り上げられる神がおられるということです。取られる神は恐ろしい神ではなく、愛に満ちた神です。とういうのも、救われている者はイエスの死とよみがえりにより、信じた者にも同じからだのよみがえりが約束されています。これまでの生き方が間違っていたなら、率直に認め、主に救いを求めましょう。兄姉、あなたの人生を決定づけるイエスを信じているけれど、財産そのものを求めていたならば、主はそれらを退けられます。主に悔い改めましょう。そして、次週のイエスのメッセージに期待しましょう(次週説教テーマを参考)。
ルカ12:15
講解説教No.69
ルカ12章13-21節
「どんな貪欲にも注意して…」と教えていますが、このイエスの教えと私たちの「貪欲」の理解と大きく違います。自分の正当な取り分を超えて欲しがることを貪欲と言う一般の理解に対して、イエスは、自分が持っている物によって自分の命を得ること(生きること)ができると思っていることが貪欲と教えました。お金に限らず能力や才能、美貌やスタイルも財産と言うことができます。それらを豊かに持っていたとしても、それによってその人の人生を決定づけるものではありません。それを求めていることは自覚のある無しにかかわらず、貪欲の支配の中にいるということです。このおしえを具体化したたとえが教えられています(16-20)。人生これから!というときに命を失うことはあります。自分に財産があっても死を免れることは出来ないということも教えられます。またその財産は他の人へ手離さなければなりません。このたとえの金持ちが「愚か者」と言われたのは、自分で得たもので生きることができる、それで人生が決まると思っていたからです。神のものである命さえも「自分のたましい」(19)と言って神を完全に抜きにした発想、生活をして来たことが愚かと言われた原因です。人のいのちは財産にあるのではない、神にあるのです。イエスが教えられたことは、人に命を与え、日々をそれを保ち導き、そして定められた時にそれを取り上げられる神がおられるということです。取られる神は恐ろしい神ではなく、愛に満ちた神です。とういうのも、救われている者はイエスの死とよみがえりにより、信じた者にも同じからだのよみがえりが約束されています。これまでの生き方が間違っていたなら、率直に認め、主に救いを求めましょう。兄姉、あなたの人生を決定づけるイエスを信じているけれど、財産そのものを求めていたならば、主はそれらを退けられます。主に悔い改めましょう。そして、次週のイエスのメッセージに期待しましょう(次週説教テーマを参考)。
2016年4月3日 週報より報告
【復活記念礼拝の祝福】
☆3月27日(日)主イエスの復活を記念する礼拝が行われました。マルコ16章から人間を支配する死の力が復活によって根本的に取り去れたこと、それが私たちの生活に大きな変化をもたらすことを確認しました。聖歌隊によって主の復活の力強い賛美がささげられました。
【ジュニアキャンプの祝福】
☆3月30日(水)から4月1日(金)全国ジュニアキャンプが行われました。説教者の山宮師からイエスキリストが力強く語られました。救いの決心者が与えられ、当教会参加者からも信仰の決心が与えられました。みことば以外にも楽しい企画が盛りだくさんありました。お祈りと支援(交通費サポート)を感謝します。
【青年会】
☆4月2日(土)青年会で聖書の学びが行われました。
【祈りのカレンダー】
☆祈りのカレンダー4月号が印刷されています。礼拝堂後ろの棚からお持ちください。日々のみことばと祈りの時が恵み豊かなものとなるように。
【本日の予定】
☆礼拝後、ジュニアキャンプ参加者から報告と証し、特別賛美があります。
☆14時から午後礼拝を行います。
☆会堂清掃後、聖歌隊の練習を行います。
【予定】
☆4月30日(土)教会墓地の清掃(草取り)に行きます。兄弟会中心に企画します。詳細は後日お知らせします。
☆5月14(土)13時30分から奥多摩霊園で墓前礼拝を行います。
☆5月27日(金)~30日(月)牧師は亀岡聖書バプテスト教会(京都)の修養会の講師として参加します。
☆3月27日(日)主イエスの復活を記念する礼拝が行われました。マルコ16章から人間を支配する死の力が復活によって根本的に取り去れたこと、それが私たちの生活に大きな変化をもたらすことを確認しました。聖歌隊によって主の復活の力強い賛美がささげられました。
【ジュニアキャンプの祝福】
☆3月30日(水)から4月1日(金)全国ジュニアキャンプが行われました。説教者の山宮師からイエスキリストが力強く語られました。救いの決心者が与えられ、当教会参加者からも信仰の決心が与えられました。みことば以外にも楽しい企画が盛りだくさんありました。お祈りと支援(交通費サポート)を感謝します。
【青年会】
☆4月2日(土)青年会で聖書の学びが行われました。
【祈りのカレンダー】
☆祈りのカレンダー4月号が印刷されています。礼拝堂後ろの棚からお持ちください。日々のみことばと祈りの時が恵み豊かなものとなるように。
【本日の予定】
☆礼拝後、ジュニアキャンプ参加者から報告と証し、特別賛美があります。
☆14時から午後礼拝を行います。
☆会堂清掃後、聖歌隊の練習を行います。
【予定】
☆4月30日(土)教会墓地の清掃(草取り)に行きます。兄弟会中心に企画します。詳細は後日お知らせします。
☆5月14(土)13時30分から奥多摩霊園で墓前礼拝を行います。
☆5月27日(金)~30日(月)牧師は亀岡聖書バプテスト教会(京都)の修養会の講師として参加します。
2016年3月27日 復活記念礼拝 -墓の中を確かめよ-
青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
マルコ16:6
マルコ16章1-8節
「イエスに油を塗りに行こうと…」(1)「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が…」(3)「誰かが私の主を取って行きました」(ヨハネ20:13)女たちの最大の関心は、イエスのご遺体を埋葬することです。そんな女たちの問題点を御使いは指摘しました。「なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか」(ルカ24:4)女たちが捜していたのは死人であって、その傍らで悲しみを癒そうとしているのです。ここに人間の限界を見ます。人間は肉体をもって生きています。それ故に様々な苦しみを経験します。肉体は次第に衰えて行きます。その行き着く先は死です。人間はその範囲を決して超えることができません。死という限界の範囲で物事もはかります。死の支配の中で望みにならない望みを探し、すぐに渇くことがわかっていても生活の中に癒しを求め続けます。肉体をもって生きるとはそういうことです。「死のとげは罪である」(Ⅰコリント15:56)と聖書は言います。人を致命的な死に至らせるものが罪であるということです。また死のとげは、死の恐怖をも意味します。医学が進み肉体の痛みを緩和させることは十分あっても、死の恐怖は取り除くことは決して出来ません。もしその人の罪が赦されているなら安心して死と向き合うことができるでしょう。ですからクリスチャンは死を直視することができます。イエスがよみがえられて遺体のあった墓が空っぽだったということは、イエスが肉体を持ってよみがえったことを意味します。そしてそのイエスのからだのよみがえりは、十字架上で一切の罪を処罰し、私たちをどこまでも支配していた死までも滅ぼされたということです。ここに根本的な救いがあります。イエスを信じる私たちもイエスと同じように復活体をいただくのです。
マルコ16:6
マルコ16章1-8節
「イエスに油を塗りに行こうと…」(1)「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が…」(3)「誰かが私の主を取って行きました」(ヨハネ20:13)女たちの最大の関心は、イエスのご遺体を埋葬することです。そんな女たちの問題点を御使いは指摘しました。「なぜ生きている方を死人の中で捜すのですか」(ルカ24:4)女たちが捜していたのは死人であって、その傍らで悲しみを癒そうとしているのです。ここに人間の限界を見ます。人間は肉体をもって生きています。それ故に様々な苦しみを経験します。肉体は次第に衰えて行きます。その行き着く先は死です。人間はその範囲を決して超えることができません。死という限界の範囲で物事もはかります。死の支配の中で望みにならない望みを探し、すぐに渇くことがわかっていても生活の中に癒しを求め続けます。肉体をもって生きるとはそういうことです。「死のとげは罪である」(Ⅰコリント15:56)と聖書は言います。人を致命的な死に至らせるものが罪であるということです。また死のとげは、死の恐怖をも意味します。医学が進み肉体の痛みを緩和させることは十分あっても、死の恐怖は取り除くことは決して出来ません。もしその人の罪が赦されているなら安心して死と向き合うことができるでしょう。ですからクリスチャンは死を直視することができます。イエスがよみがえられて遺体のあった墓が空っぽだったということは、イエスが肉体を持ってよみがえったことを意味します。そしてそのイエスのからだのよみがえりは、十字架上で一切の罪を処罰し、私たちをどこまでも支配していた死までも滅ぼされたということです。ここに根本的な救いがあります。イエスを信じる私たちもイエスと同じように復活体をいただくのです。
2016年3月27日 週報より報告
【復活記念礼拝】
☆本日は主イエスキリストの復活を記念する復活記念礼拝です。キリストの復活は、キリストの贖いの死が有効であること、またキリストが神であることを確証させた重要な事実です。
☆本日の聖歌隊賛美は①「マリヤの物語」、②「復活の歌」のキリストの復活を讃えた賛美2曲です。
☆「イースターエッグ」を記念にお持ちください(本日中にお召し上がりください)。
【教会奉仕】
☆2016年度がスタートします。前年度担当していた奉仕を継続する兄姉、新たに奉仕に加わる兄姉、それぞれ確認し、喜びと責任をもって奉仕にあたりましょう。「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり」(エペソ4:12)私たちに委ねられている働きはキリストのからだである教会を建て上げ、宣教することです。兄姉ひとりひとりそのからだを成している、なくてならない存在です。
【本日の予定】
☆礼拝後、ジュニアキャンプ参加者はピアノ前に集まってください。
☆14時から午後礼拝を行います。
☆午後礼拝後、会堂清掃を行います。
【予定】
☆3月30日(水)~4月1日(金)国立中央青少年交流の家(静岡県御殿場市中畑2092-5 ℡0550-89-2020)でジュニアキャンプが行われます。参加者は30日(水)教会に10時に集合してください。
☆3月30日(水)祈り会は牧師がジュニアキャンプ参加のためお休みとします。
☆4月2日(土)13時から青年会の聖書の学びを行います。
☆4月3日(日)日曜学校の進級式を行います(通常の日曜学校時間)。
☆本日は主イエスキリストの復活を記念する復活記念礼拝です。キリストの復活は、キリストの贖いの死が有効であること、またキリストが神であることを確証させた重要な事実です。
☆本日の聖歌隊賛美は①「マリヤの物語」、②「復活の歌」のキリストの復活を讃えた賛美2曲です。
☆「イースターエッグ」を記念にお持ちください(本日中にお召し上がりください)。
【教会奉仕】
☆2016年度がスタートします。前年度担当していた奉仕を継続する兄姉、新たに奉仕に加わる兄姉、それぞれ確認し、喜びと責任をもって奉仕にあたりましょう。「それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり」(エペソ4:12)私たちに委ねられている働きはキリストのからだである教会を建て上げ、宣教することです。兄姉ひとりひとりそのからだを成している、なくてならない存在です。
【本日の予定】
☆礼拝後、ジュニアキャンプ参加者はピアノ前に集まってください。
☆14時から午後礼拝を行います。
☆午後礼拝後、会堂清掃を行います。
【予定】
☆3月30日(水)~4月1日(金)国立中央青少年交流の家(静岡県御殿場市中畑2092-5 ℡0550-89-2020)でジュニアキャンプが行われます。参加者は30日(水)教会に10時に集合してください。
☆3月30日(水)祈り会は牧師がジュニアキャンプ参加のためお休みとします。
☆4月2日(土)13時から青年会の聖書の学びを行います。
☆4月3日(日)日曜学校の進級式を行います(通常の日曜学校時間)。
2016年3月20日 ルカの福音書 ーイエスを人の前で認めるー
そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いたちの前で認めます。
ルカ12:8
講解説教No.68
ルカ12章8-12節
きょうイエスが問いかけておられるのは「あなたがたはわたしを人の前で認めるのか?それとも知らないと否定するのか?」です。おびただしい群衆が注目するときに弟子たちに問いかけたのです。教会の人たちの前で主を認めるわけではなく、イエスを知らない人、どっちつかずにいる人たちの前で主を認めるのです。原文から人の前で主を認めるとは、イエスと同じ言葉を語る、となります。それは相手の語ることに同意し、自分も同じ思いであることを言い表すことです。9節の「わたしを人の前で知らないと言う者は…」は、人の前でイエスと自分との関係をどう言い表すのか」ということがポイントとなります。そのためには自分がどういう立場であるかを言い表すことも大事になってきます。すなわち神の前に罪深い者であって、救いを必要とする者だということ、キリストが私のために十字架で死なれたこと、三日目によみがえられたこと、私にとってその方はまことの救い主であるということを言い表すことで、イエスとの関係が明確になります。そのようにイエスと自分との関係を人の前で言い表すのです。そのようにイエスとの関係を言い表した者を、イエスは本物の弟子として認めてくださいます。正直、確かに人前で言い表したら波風が立ちます。師であるイエスは波風どころではありませんでした。ですから良いのです。むしろその切羽詰った状態の時に主を認め続けることが求められているのです。恐れる必要はありません。聖霊の助けを与えてくださいます。聖霊は人々の前で、自分とイエスとの関係を言い表すべきことばを教えてくださいます(11,12節)。ですから宣教において不利な立場に置かれたとしても問題ありません。聖霊は教える責任があり、私たちはその教えを信頼して守る責任があります。
ルカ12:8
講解説教No.68
ルカ12章8-12節
きょうイエスが問いかけておられるのは「あなたがたはわたしを人の前で認めるのか?それとも知らないと否定するのか?」です。おびただしい群衆が注目するときに弟子たちに問いかけたのです。教会の人たちの前で主を認めるわけではなく、イエスを知らない人、どっちつかずにいる人たちの前で主を認めるのです。原文から人の前で主を認めるとは、イエスと同じ言葉を語る、となります。それは相手の語ることに同意し、自分も同じ思いであることを言い表すことです。9節の「わたしを人の前で知らないと言う者は…」は、人の前でイエスと自分との関係をどう言い表すのか」ということがポイントとなります。そのためには自分がどういう立場であるかを言い表すことも大事になってきます。すなわち神の前に罪深い者であって、救いを必要とする者だということ、キリストが私のために十字架で死なれたこと、三日目によみがえられたこと、私にとってその方はまことの救い主であるということを言い表すことで、イエスとの関係が明確になります。そのようにイエスと自分との関係を人の前で言い表すのです。そのようにイエスとの関係を言い表した者を、イエスは本物の弟子として認めてくださいます。正直、確かに人前で言い表したら波風が立ちます。師であるイエスは波風どころではありませんでした。ですから良いのです。むしろその切羽詰った状態の時に主を認め続けることが求められているのです。恐れる必要はありません。聖霊の助けを与えてくださいます。聖霊は人々の前で、自分とイエスとの関係を言い表すべきことばを教えてくださいます(11,12節)。ですから宣教において不利な立場に置かれたとしても問題ありません。聖霊は教える責任があり、私たちはその教えを信頼して守る責任があります。
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