2015年10月25日 『書いてある』という信仰 

イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」
マタイ4:4


マタイ4章1-11節

(スポルジョン著「朝ごとに夕ごとに」から) 
「わたしの力は、弱さのうちに完全に現われる」(Ⅱコリント12:9) 神に仕えて、その奉仕を勝利のうちに成し遂げるための第一の条件は、私たち自らの弱さを知ることにある。神の戦士が「私は勝利を得る自信がある…」と豪語し、自らの力により頼んで戦いに出るなら、敗北は遠からずして訪れる。神はおのれの力を頼む者とともには行かれない。このような方法で勝利を期待するのは誤りである。なぜなら「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらずわたしの霊によるのである」と記されている。おのれの勇気を鼻にかけて戦いに臨む者は、そのはなやかな旗を泥にまみれさせ、武具を恥辱によりけがして帰るだろう。神に仕えんとする者は神ご自身の方法で、また神ご自身の力によって仕えねばならぬ。さもなければ神は決して彼らの奉仕を受入れられまい。人が神の力の助けなくしてなしたことを、神は決して承認されない。地が産み出した果実を神は退けたもう。神が収穫されるのは、その種子が天よりまかれ恵みによってうるおされ、神の愛の太陽によって熟した果実だけである。神はご自身のものをあなたの中に入れる前に、まずあなたの持てるすべてのものを取り出して空にされる。神は最上の小麦をもってあなたの穀倉を満たす前に、まず倉をくまなく清掃される。神の川には水が満ちている。しかし、その中の一滴たりとも地上の泉からわき出たのではない。神はその戦いにおいて、ご自身が与えられる以外の力は用いられない。あなたは自らの弱さを嘆くのか。勇気を出せ、希望を抱け。なぜなら主があなたに勝利を与えたもう前に、あなたは自らの弱さを意識しなければならぬから。あなたが空虚であるのはあなたが満たされる準備である。