イエスは大声で叫んで、言われた。「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」こう言って、息を引き取られた。
ルカ23:46
講解説教No.125
ルカ23章44~49節
イエスが息を引き取られる時、3時間ほど太陽が光を失いました。これは日食や天候による現象ではなく、イエスが人間の罪のために死なれるこの出来事に関係します。この全地の暗さは全ての人間が神に逆らう罪の中にあることの現れです。これは神の特別な介入です。その裏付けとして、これまで散々イエスをののしって来た周囲でしたが、イエスの死の瞬間には一言も発していません。神への恐れと理解してよいでしょう。次に神殿の幕が裂けました。神殿の一番奥にある至聖所と呼ばれる神の臨在される場所と、人が罪の贖いのために礼拝をささげる聖所とを隔てる幕です。罪に汚れた人間がノコノコと神の御前に出て行って死を招くことを防ぐための隔たりです。その幕が裂けたということは、人が神の前に出る道が開かれたということです。死を遂げられたイエスによって、神に愛され受け入れられるようになったという救いの恵みをあらわしているのです。人が神に近づく救いの道が出来ました。そのことを確信してイエスは最後に、ゆだねますと叫ばれました。ゆだねたわが霊とは全存在のことです。「いのち」と言い換えることもできます。父にいのちをお返しします、というニュアンスです。それを大声で叫ばれたというのは、子が親を全く信頼している時の安心から発した言葉です。私たちも生きている今も、死ぬときも一貫して神を信頼したいです。どんなに平安でいられることか。このお姿を見た死刑執行の責任者である百人隊長は「まことに神の子であった」(マルコ15:39)と言って救われました。またついて来た女たちは確かな贖い主の証人となりました。息を引き取るにも関わらず父へのまったき信頼をあらわされたイエスにこそ、まことの神の子を見るのです。あなたもイエスを信じましょう。また信じている人は信頼して平安を頂きましょう。