2020年3月29日 コリント人への手紙第一 コリント人への手紙第一-偶像礼拝を避けなさい-

ですから、私の愛する者たちよ。偶像礼拝を避けなさい。
Ⅰコリント10:14


講解説教№43
Ⅰコリント10章14-22節

 偶像礼拝を避けなさいと、特に信仰の強いと言われるクリスチャンたちに命じました。唯一の神を信じている確かな知識を持つ彼ら、つまり偶像の神などないとする彼らが、偶像礼拝に陥っているというのです。それは市場で売っている偶像の肉を知らずに食べてしまうことではないでしょう。恐らく、「知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしている…」(8:10)のことと考えられます。。パウロは、彼らが偶像礼拝から逃れるために、「私の言うことを判断してください」と、聖餐式についてと、旧約時代の祭壇への供え物について話します。ぶどうジュースと裂かれたパンをいただく聖餐式は、キリストの血とからだという象徴的な意味があります。「パンは一つです」(17)とは、聖餐に与る者がキリストと一体となることを表しています。それが教会ですが、旧約時代の民も、祭壇に犠牲をささげるとき、供え物を食べる者は、罪の赦し、神との契約、神との交わりとしての祝福が与えられました。聖書は食事を共にすることを、人格的な交わりとして表していたように、聖餐式におけるキリストとの一体ということも、そこに大切な交わりがあることがわかります。パウロはそのことを偶像の神殿で食事の席に着くことと重ね合わせています。偶像のもとで食事に連なる者は、偶像の神と交わることになるということです。偶像の神は存在しません。しかしその背後には悪霊の存在があるのです。コリント教会の信仰の強い人たちは、積極的に異教の神殿に行きました。自分たちは大丈夫という信仰を誇りたかったからです。私たちは判断しなければなりません。判断材料は、『悪霊と交わることになるかどうか』です。主と交わり、さらに悪霊と交わることは出来ません。信仰が強いと言われていた人たちが、なぜ偶像礼拝を避けなければならない状況に陥ったのでしょうか。それは彼らがキリストとの確かな交わりを保つことができなかったからです。唯一の神を信じる知識を持っていました。しかし、そのことと彼らがキリストと交わっていたということは別です。私たちは偶像礼拝或いは悪霊と交わることを容易に避けることができるように、キリストとの交わりを深めなければなりません。