2012年12月2日 使徒の働きー神の国は力にありー

神の国はことばにはなく、力にあるのです。
Ⅰコリント


講解説教74
使徒の働き21:27-40

 エルサレム教会には多くのユダヤ人回心者が集っています。五旬節の時期でエルサレムには二百万人を越えるユダヤ人が祝っています。異邦人伝道を進展させたパウロが、このタイミングでエルサレムに帰ってくることは、彼の行なったことを懸念しているユダヤ人たちに悪い刺激を与えて騒ぎになる可能性大です。エルサレム教会はそれによるローマの圧力を恐れました。これがパウロに律法的儀式を要求した動機です。

 教会は神の栄光のためにといいつつも、「人を恐れるとわなにかかる…」(箴言29:25)のです。パウロは聖霊が示したとおりに捕らえられました。幾分でも自分の身を案じてよい状況であるにもかかわらず、「彼を除け」と叫び続けている相手に話す許可を求めました。状況を全く読めない愚か者か、確たる目的をもって冷静に事を遂行している状況のどちらかです。

 目的は一つ、ただキリストのために行なっています。エルサレム教会のリーダーたちの行動は自分の身を案じた、自分自身のことを求めたものでした。「だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。」(ピリピ2:2)と後にパウロが訴えます。純粋に主のためにと思っても、自己防衛に入ったり、別の目的へと流れてしまう弱さが私たちにはあります。そのような霊性さは注意しすぎることはありません。

 パウロは主のために自分の能力を使いました(ギリシャ語、ヘブル語)。キリストによって変えられると、能力も最大限生かされ、説明抜きに力ある生活を示すことができます。「神の国はことばにはなく、力にあるのです」とはそのことです。聖書に関心ゼロの人たちに、みことばのあらわれである力を示すのです。