2013年6月9日 聖書講演会 ~イエスとともに生きる生き方とは?~ 与える喜び・伝える責任

使徒の働き17章16-34節
 「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」(ルカ19:8)イエスキリストを信じたザアカイという取税人は、この決意に見られるように、福音に生きる人に変えられました。

 それまでの彼は、お金が友であり、またその奴隷であり、他者を顧みない自分本位な生き方でした。とは言っても悪の道を歩んできたわけではなく、その職に就くために並々ならぬ努力をしてきたでしょうし、自分の幸福のために、自分の信じるところを貫いてきたことでしょう。ところがイエスキリストに出会って、自分が確かで安心だと思っていたものが揺らいでしまうことに気づき始めました。自分の行なっていることに確信を持つことができるなら、それにとどまることは容易ですが、「自分の行いの実を食らい、自分のたくらみに飽きる」(箴言1:31)ようになっていったのです。「愚かな者の安心は自分を滅ぼす」(箴言1:32)とあるとおりです。

 ところがザアカイはイエスキリストを心から信じたことによって、不確かさの根源にある自分の罪が赦されたこを信じ、大喜びしました。彼はこれまで愛し、支配されて来たお金を手放すことができました。罪の縄目から解放され自由になっただけではなく、他者の利益のために生きる者に変えられました。惜しむ気持ちも、犠牲だとも思っていません。キリストの愛がそうさせています。これまで彼自身に愛のかけらもなかったとしても、キリストの愛が囲みます。この愛に捕らえられた人は、福音(良い知らせ)を、自分のうちに惜しんで留めて置くことができなくなります。だれかに伝えずにはいられないのです。人本来の生きがいは、受けるにあらず、与えることにあることを体得してください。