2013年9月8日 エペソ人への手紙 ‐キリストのいない人生‐

あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。
エペソ2:1,2


講解説教No.12
エペソ2章1―3節

 2章で人間の罪の話題に転じているようですが1章からの続きです。人間の罪の悲惨な状況を知ることによって、神の恵みと力の偉大さを強調しています。人間は自分の罪過と罪との中に死んでいるとパウロは言っています。死滅したのではなく、生きているように見えて死んでいるのです。人は神によって造られ、神によって存在しています。その肉体は生きていても、神から離れているために人間として生きてはいないということです。それを霊的死と言います。肉体が死ぬとからだから分離をします。それが肉体的な死です。

 霊的死は神からの分離です。その原因が「自分の罪過と罪」です。彼らは実際に生活を営み、歩んでいるのですが、人生の正しい道からはずれて歩み、人生の的を射ることができません。人は人生のすべての局面で他の人とかかわります。しかし神から遠く離れているために、自分の気分や感情で他の人を困らせ、悲しめてしまいます。神を愛し、人を愛し、信頼することにおいて皆無な状態です。また、人のその歩みは「空中の権威を持つ支配者」すなわち悪魔の指図で歩んでいます。その指示は愛するのではなく憎む、信じるのではなく疑う、です。相手のためにと心がけていても、清い願いとは程遠い、肉と心の欲望がその人を支配します。これがキリストのいない敗北の人生です。戦い、抵抗すべき罪に完全に負けたのです。悪魔と罪の力を打ち破る力の働きはキリストのほかにはいません。「(キリストは)最後の敵である死も滅ぼされる」(Ⅰコリント15:26)お方です。私たちは神に従うか、悪魔に従うか、二つのうち一つしかありません。