2014年4月13日 エペソ人への手紙 - 世の人とかかわる注意点 -

むなしいことばに、だまされてはいけません。…彼らの仲間になってはいけません。
エペソ5:6、7


講解説教No.33
エペソ5章5-7節

 教会をキリストの身たけまで建て上げることが4章で求められていて、その目的は教会の外へ向かっています。他(世)の人のために自分を与えるほど愛をもって歩むという宣教です。きょうはそのときの注意点を二つ学びます。

 第一に、むなしいことばにだまされないことです。そのことばを発する人は「不品行な者、汚れた者、むさぼる者」で神を憎む者たちです(出エジプト20:4,5)。この人たちが「偶像礼拝者」と呼ばれているのは、彼らが「つい、うっかり」そういう罪を犯したのではなく、生活の習慣、それがなくてならないもの、その行為自体を守っているほどだからです。彼らの発する性に関する言葉がだまされるほど説得力のあることばなのか?「好きだったら、いいじゃない!」と正直な気持ちのようですが、それが既婚者との関係であったり、男性が男性と付き合い、女性が女性と付き合うことだったりするのです。テレビに登場するいわゆる「おねえ系」の人たちの面白く説得力のある言葉を、単に笑いととらえず、聖書の見地からしっかり見据える必要があります。聖書はむなしい言葉を耳にしない状況を保証してくれるわけではありません。降る雨のように容赦なく浴びせられるそういうことばに対して、御国の民としての自覚を持った上で対応しなければなりません。

 第二に、彼らの仲間になってはいけないということ。イエスが取税人、罪人、またサマリヤの女とかかわったとき、食事をともにするような交わりをしていました。仲間になるなとは、その人の考え、思想に共感しないことです。しかし同時に、相手の存在、気持ちの部分で愛することができるのです。「ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました…ユダヤ人を獲得するためです」(Ⅰコリント9:20)このパウロのように世に出て行くべきです。