2014年9月28日 ルカの福音書 -飼葉おけの中の王-

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。
ルカ2:6、7


講解説教No.6
ルカ2章1-7節

 著者ルカが福音の正確な事実を伝えるために、イエス誕生時を皇帝が住民登録を命じた時と具体的にし、更には隣国シリヤの総督がクレニオだったときの住民登録の時と限定的に記しました。そのような歴史的視点で見ればマリヤ、ヨセフのベツレヘムへの長距離移動など気にも留めないでしょうが、聖書の預言的視点、すなわち神のご計画から見るならば、奇跡的出来事となります。アウグストの政治的野望によって小さな町に追いやられたヨセフとマリヤですが、700年余前、救い主がベツレヘムで誕生することは神がお決めになられていたのです(ミカ書5:2)。つまり、神とさえ称された時の国家権力者を、神はご自分の計画のためにお使いになったということです。恐るべき神です。とはいうものの、「自分の町へ向かって行った」ヨセフもマリヤも、出産を控えて前途多難な状況です。「これは本当に神のみこころなの?」と考えても仕方のない中にあって、悩みつつも神に従い続けました。神がご自分の意のままにアウグストを動かしておられるなど知り得ないでしょうが、神は着実に前進しておられます。全面的に神を信頼しましょう。

 もう一点、ここにはイエス誕生の直接てき記事が少な過ぎます。資料不足?確かに出産現場にいたのは夫婦だけです。資料が不足しているのも、出産場所が追いやられたのも、主導はそこを取り巻く人々ではありません。アウグストを動かした神です。権力者を動かすことが出来て、出産場所を確保できないなどという愚かな話はありません。そこには大事なメッセージがあります。イエスはそこで脚光を浴びるべき存在ではないということです。選ばれた者でもありません。この方を足台にして、私たちが選ばれているのです。私たちが神の愛を悟りたいのであれば、全く光をあてない、だれも関心を向けない、暗がりの所でのイエスを悟らなければなりません。