2015年2月1日 ルカの福音書 -罪人を招くお方-

わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招いて、悔い改めさせるために来たのです。」
ルカ5:32


講解説教No.20
ルカ5章27-32節

 罪を赦す権威を持っていること、すなわちご自分が神であられることを示されたのが中風の人のいやしの出来事でした。次に聖書が示しているのが、罪の束縛から解放された生活です。イエスに出会った人たちは常に自分の罪深さに気づかされます。「私のような者から離れてください。罪深い人間ですから」(5:8)とペテロが、パウロも「私はその罪人のかしらです」(Ⅰテモテ1:15)と。中風の人にしても、イエスと出会うなり「あなたの罪は赦されました」といきなりの罪の指摘でした。教会に来られると「心が洗われた思いだ」という人がいますが、本来は罪の問題が解決されたら、「洗われる」でしょう。その人の罪が指摘されたら、その心の思いはいたたまれないはずです。しかしこのことほど重要なことはありません。なぜなら、イエスがその罪人を招き、罪から解放してくださるからです。取税人レビもイエスの招きに答えました。イエスは今後継続的にずっと従ってきなさいとお命じになり、レビは何もかも捨て従いました。仕事を休職し一時的にではなく、自分の生涯をこの方に任せて生きる道を選んだのです。これは、レビがイエスを神の御子と認めないほかは成立し得ないことです。事実彼はローマの国家権力に比べることのできない神の権威をイエスに認めたのです。それゆえ彼が捨てたものは束縛されていた罪の生活です。自分自身を実現しようとする自分本位な生き方を置いていき、立ち上がってイエスに従いました。罪から解放された生活は、自分を罪から救ってくださったイエスのために生きるというものです。レビは「マタイ」という名も持っていました。彼は神から仰せつかり「マタイの福音書」を書きました。イエスは私たちひとりひとりに、その人でなければならない素晴らしい生き方を用意してくださっています。