2015年8月9日 ルカの福音書 派遣、みことばの実践

イエスは、十二人を呼び集めて、彼らに、すべての悪霊を追い出し、病気を直すための、力と権威とをお授けになった。それから、神の国を宣べ伝え、病気を直すために、彼らを遣わされた。
ルカ9:1,2


講解説教No.40
ルカ9章1-9節

 弟子たちは、これまでに、イエスが神としての権威を持っておられる神の御子であることを、①言葉(講義)をもって教えられました。②そのあと、イエスと行動をともにして奇蹟や現場のおしえを見て実物教育を受けました。③そして、彼らが本当に主の権威を認めているかの確認テストが行われました。ガリラヤ湖上で(波と荒波を制した出来事)、悪霊を追い出す現場で(レギオン)、死人を生き返らせる現場で(ヤイロの娘)。これらの主の権威と力を示して来られた理由は、弟子たちがその権威と力を授けられて、福音を宣べ伝えるためであることが9章1節でわかります。宣教は主の権威によって行います。なぜなら、神との交わりを破壊するサタンとそのしもべである悪霊との戦いが宣教だからです(エペソ6:12)。霊的戦いにおいて人間的な力は全く無力です。だから、私たちは主の権威と力を認めなければなりません。自分自身の信仰の安定のために認めるのではなくて、滅びに向かう人たちを救いに導くこととして認めなければならないのです。狂気と混乱から救われて正気に返ったレギオンは、今与えられた安定のために生きるのではなく、イエスに勧められて、神が自分にしてくださった大きなことを証するために生きました(8:35-39)。福音を伝えるときの教えとして、①福音を伝える人は、宣教に必要なすべてのものが神によって備えられると信頼することが大切です。この人は神にのみ頼る生活を誰よりも深く経験することのできる恵み豊かな人です。②伝道先で、まず受入れてくれる人を探します。パウロもヨーロッパ伝道のまず最初に、ルデヤの家を拠点としました(使徒16:15)。当時の宿屋は道徳的にいかがわしい評判を立てたりすることが少なくなかったようです。今の宣教も、福音を大胆に伝えるために、受け入れてくれる人、拠点を第一に探すことです。個々の伝道もこの原則に従って行いましょう。③もし相手が福音を決定的に受入れない場合は、足のちりを払い落とします。これは無関係を公言するジェスチャーです。確かに福音を伝えた私には責任がないということです。それは主の責任の範囲のことなので、私たちが扱うべきではありません。私たちの重大な責任は福音をはっきりと伝えることです。はっきりと、というのは、答える側が受け入れか拒否かの二つから選ぶということです。イエスの求める宣教は決断を迫るものなのです。