2015年9月27日 ルカの福音書 -御顔をまっすぐに-

さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、
ルカ9:51


講解説教No.48
ルカ9章51-56節

 ガリラヤ地方での巡回伝道から、エルサレムへの旅に転じて行かれるイエスがおられます。宣教中心の働きから弟子教育、弟子訓練に力を注ぐようになりました。それは、イエスが天に上がられる日が迫る中、真っ向から反対者たちに立ち向かって、神のみこころを遂行していく真の弟子たちを急速に養成しなければならなかったからです。ここではまず、イエスの決意に見られる信仰について学びます。上記のみことばにイエスの決意が見られます。「天に上げられる日」とは正確には複数の「日々」です。その日々とはエルサレムへの旅が十字架の苦難だけではなくて、それに続く復活と昇天という一連の出来事を指します。向かう先でイエスは殺されます。そこに向かって御顔をまっすぐにされている姿に悲壮感を覚えません。明確な目標に向かって迷いがない姿です。苦難だけでは悲劇があるだけです。十字架という苦難は復活と昇天という輝かしい未来があるからこそ意味があります。苦難の先に希望を見ないなら、人は絶望するしかありません。苦難の先に希望を見せてくれるものは、信仰です。「イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(ヘブル12:2)。イエスの信仰とは十字架という絶望の先に輝かしい未来を見たというものです。自分の前に置かれた喜びをまず見ることです。私たちの前に置かれた喜びはイエスと同じ、復活の希望です。喜びの確かな未来があるからこそ、現在の苦難にも意味があるのです。苦難のための苦難にはなりません。その苦難は喜びに至るための経路となります。皆さんの人生、最終的に希望でしょうか?まだであれば頂いてください。また、希望がないかのような生活をしていたら、悔い改めましょう。