2015年11月15日 ルカの福音書 みことばに聞き入る

しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。
ルカ10:42


講解説教No.53
ルカ10章38-42節

 マリヤが主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた姿というのは、ユダヤにとって驚きの光景です。ユダヤには婦人が師から詳しく学ぶということはないからです。教師になれない婦人に学びは必要ないというのがユダヤ的考えでした。このユダヤの伝統をマリヤが知っていたとすれば、よほどみことばの教えを受けたかったということになります。一方姉のマルタはイエスを喜んでもてなしました。ユダヤの伝統に従って学ぶことをせずに、自分の役割を果たしていたのです。マルタには自分は正しいことを行っているという自負がありました。それがイエスへの強い主張となったのです。自己義認の態度が見えます。①自分を正しいとし、②他者を間違っていると見なし、③自己義認から怒りの感情が生まれてきます。イエスをもてなすという仕える奉仕が批判に変わってしまいました。イエスはマルタの名を二度も呼ばれ、丁寧に戒められます。そして重要な真理として、どうしても必要なことは一つだけと教えられました。それはまずイエスの教えを受けるということです。イエスに仕える奉仕も必要で良いことです。しかしまずイエスの教えを受けることは、仕える奉仕をすることよりも重要だと諭されたのです。イエスの教えを受けることを優先することです。イエスから教えを受けずして、他の人に与えることは難しいことです。神を愛することは、隣人を愛することよりも優先されることです。神を愛した人が隣人を愛することができるようになるからです。
いろいろな心配ごとはありませんか?批判の心はありませんか?そうであれば、自分の中の優先順位を見直しましょう。まずみことばに聞き入り、イエスの教えを受けましょう。そうすれば、主の望まれる奉仕を継続することができるでしょう。