2016年5月1日 ルカの福音書 -平和か、対立か-

あなたがたは、地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなたがたに言いますが、むしろ、分裂です。
ルカ12:51


講解説教No.73
ルカ12章49-53節

 12章は宣教に従事する弟子たちに対しての教えが展開されています。

 「地に火を投げ込むため」というキリストが地上に来られた目的はどういう意味なのでしょうか。さらに「日平和を与えるために来た」のではない、「むしろ、分裂です」と衝撃的なことばを語っておられます。イエスが切望されていることは、地に投げ込んだ火が燃えることです。これはイエスが受けるべきバプテスマを受けたら成就します。すなわち、それはイエスの十字架の死のことです。キリストが到来されたことは事実救いと平和です。しかし同時に、それは人々の偽りの生活や不正、悪と不義を暴くことにもなります。その結果、多くの人の実態が暴かれます。そうすると人々の間に、亀裂が生じ、怒りが見え隠れし、ごまかしたり、こじつけたりします。多くの人は自分の本当の姿を認めようとしないからです。結果、神に従う者とそうでない者(未信者)との間に深刻な対立が生じることになります。キリストの福音は、人々の真の姿をさらけ出します。救いが実現するためには多くの人の心の思いが暴かれなければならないのです。それを抱いたまま、或いは隠したままの平和などあり得ません。聖書を単に道徳的なこととして語るなら分裂など起こりえません。むしろ人々は「その教えは素晴らしい」と言うでしょう。しかし純粋にキリストの十字架の死と復活を語るなら、その人の罪を責めることになり、必ず人は二分されます。家族の間にさえ、それによって亀裂が入るのです。真の救いと平和のために、家族に見る親しい関係以上に、イエスキリストとの関係を優先させるべきことも教えられます。いずれにしてもまず、キリストの平和をいただきましょう。宣教に従事する者として、福音に対する危機感を持つことも教えられます。