2016年5月8日 ルカの福音書 ー時代を見分け、正しい判断をー

偽善者たち。あなたがたは地や空の現象を見分けることを知りながら、どうして今のこの時代を見分けることができないのですか。
ルカ12:56


講解説教No.74
ルカ12章54-59節

イエスはどこか他人事のように聞いている群衆に対して「偽善者たち」と厳しいことばをかけられました。なぜか?「地や空の現象を見分けることを知りながら、今のこの時代(時)を見分けることができない」からです。「今のこの時代」はカイロスということばが使われていて、神のことばが実現する時(ルカ1:20)、(さばきとしての)神の訪れの時(ルカ19:44)と同じことばです。つまりこの時代は生と死、救いと滅びに関わる時であって、神のさばきの時代であるということです。「見分ける」ということばは「正しいと認める」という意味にもなり、まとめると「どうして、今のさばきの時代を吟味して、正しいと認めることが出来ないのですか?」となります。これを理解させるためにイエスは裁判官のたとえを話しだされます。返すべき借金を返さなかったために、ついに裁判官の前に連れて行くことに…裁判官の前に立たされれば、有罪を宣告されて投獄です。そして当時のお金の最小単位である1レプトン(1円)を返すまで、決して出ることはできないと。訴えられている人にとって「今のこの時代」は、まだ裁判官の前に立たされてはいない、牢にも入れられていないそういう時代、時です。その時にすべき正しいことは何かを判断しなければなりません。だからイエスは「途中でも、熱心に彼と和解するよう努めなさい」と教えます。「和解」という言葉には「無罪放免にされて、そのあとずっと自由」という意味合いが含まれています。問題は借金の返済です。道の途中でいくら謝っても返せるわけではありません。まずイエスが求めたことは「あなたたちは返すことの出来ない借金を抱えたまま生きている人なのだ」ということをわからせることでした。今のこの裁きの時代の正しい判断とは、決して返すことの出来ない罪の借金を抱えていると把握していることです。その借金の保証人がイエスです。イエスがそのすべての責任を負うことを前提に「偽善者たち」とあわれみのことばをかけられるのです。人生が終わるまでにその方のことばを見分けねばなりうません。