2016年9月25日 ルカの福音書 ーあなたのただ中にある神の国ー

…「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
ルカ17:20、21


講解説教No.89
ルカ17章20-21節

 神の国はいつ来るのか?との質問は、「神としての支配が実現するのはいつか?」という意味です。質問したパリサイ人たちは神の支配がまだであるという現状認識です。なぜまだなのか?それは今支配しているのは、人間の力や権力だからです。事実彼らはローマの支配下にありました。神の国はいつ?の問いには「どういうことが起ったら神の国の到来が迫っていると知ることができるのか?」と言うことが含まれています。これはパリサイ人だけではなく弟子たちも知りたがりました(ルカ21:7)。それは前兆を知ることで自分たちがどう判断し、行動すればいいかわかるからでしょう。しかし神の国の支配は、人が自分の手の内に置いて判断したり予測できるものではありません。世の終わりは御使いも子(イエス)も知りません(マルコ13:32)。ただ父だけが知っているとの聖書の主張は、人間が神の支配の領域に入ることが出来ない、或いは入ってはいけないからです。さて、神の国はあなたがたのただ中にあります。それは心の中にあるのではなく、パリサイ人たちの間にあります。今彼らの間にあるのはイエスだけです。そうです、あなたがたのただ中にあるとは、主イエスキリストご自身が彼らの間に来ておられることを指して語っている言葉です。しかし、イエスが来られたことで神の国が来たと思っていないのが彼らです。私たちも神の支配がまだ来ていないと思わないではいられない現実の中を生きています。神の国の支配はすでにそこにあります。ひとり子イエスがこの世に来られたことによって実現しているのです。イエスは私たちの罪の贖いのためにすべての苦しみを受けて十字架で死なれました。それは死では終わらず、死人の中からよみがえられたことによって信じる者に永遠のいのちを約束されました。そこにこそ神の支配の確立があるのです。私たちの生活の繁栄、悩みの解決に神の支配を見るのではなく、イエスの愛と救いの支配に見なければなりません。絶えず問題が生じ、病や悩みを得ていてもです。なぜなら、神の国は実現するだけで終わらず、完成するからです。イエスがもう一度この世界に来られたとき、目に見える仕方で完成してくださいます。