2016年12月4日 ルカの福音書ーきょう、救いがこの家に来たー

彼に言われた。
「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」
ルカ19:5


講解説教No.98
ルカ19章1-10節

 ユダヤは力で抑えられているローマ支配下にあります。その政府に加担する税を扱う仕事をしているのがザアカイです。彼もユダヤ人、同胞から嫌われる仕事を、なぜ選んだのか疑問です。ザアカイとユダヤ人との間には軽蔑と憎しみという大きな壁がありました。彼がイエス見たさに木によじ登ったのは物理的な問題ではなく、双方の交わりが断絶していた不自然な行動です。ザアカイがそこまでイエスを見たいという思いは、話を聞きたいとか、奇跡を見たいということではなくて、彼の同業者がイエスと交流していることを聞いたからでしょう(15:1)。一目見ることが目的だったザアカイに想定外のことが起こりました。彼の名が呼ばれたのです「ザアカイ!」面識もないのに呼ばれたのは、イエスの全知性を暗示しています。さらには「あなたの家に泊まることにしてある」とまで言われました。原文は英語のmustにあたる「泊まらなければならない」となっています。本来他人の家に泊まる場合は、「依頼、お願い」です。ところがイエスのことばは宣言です。私たちであれば非常識で怒られます。しかしイエスの場合は、『神のご意思であるからそうしなければならない』という意味が込められています。神なら成り立つのです。イエスは「急いで」とも言われました。喜びへと急げということです。罪によって失われた者の救いには喜び以外はありません。その救いを躊躇したり、周囲を気にしたりしないで、喜びへと急ぐべきです。ザアカイはイエスと出会い、新しい人間へと生まれ変わりました。憎む相手を憎しみ返す生き方から、愛し、助け、良い関係を築くことができる新しい生き方を始めることができたのです。自己中心的な生活から他を配慮する生活へと必ず変わります。その変化に貢献しているのがイエスと出会った喜びです。もし今、喜びに欠けるものがあるなら、あなたの家に泊まることにしてあるからというイエスの宣言にちゃんと応答していないことが原因です。イエスを喜んで迎えましょう。