2017年2月5日 宣教大会 -今、神の民、あわれみを受けた者として-

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。 
Ⅰペテロ2:9


ペテロの手紙第一2章1—10節

 福音宣教はキリストの命令ですが、それに対する確かな動機をもってはじめて宣教に従事できます。ペテロからの手紙を受け取ったクリスチャンたちは、「キリストの名のための非難」(4:14)を執拗に受けたため、伝道することを躊躇しました。非難を恐れて未信者に合わせ、悪に対して悪で報い、侮辱に対して侮辱で報いていました(3:9)。そのうち彼らは「宣教をしないことは、そんなに問題ではないのでは?」という理由を探し出しました。問題はそうやってその人の行動を決定づけてしまう心の動機です。ペテロは「すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろの偽善やねたみ、すべての悪口」という悪い動機を捨てよと命じました。捨てると自分を守り、隠すものがなくなります。目的はその無防備な裸の状態になってみことばを求めるということです。赤ちゃんが無防備でただ母にすがって母乳を求めるようにです。純粋に神のことばだけを求めることができるようにするということです。これによって人があなたをねたみ、見捨てるという事実ではなく、神があなたを選ばれた種族とし、王である祭司とし、聖なる国民とし、神の所有とされた民とするという事実を見ることができます。そうであれば人があなたを憎もうと、私を見る神の事実に喜ばないではいられないでしょう。次に喜んだ人は、神が私を選び、祭司とし、世と区別し(聖)、ご自分の宝物とされた目的を考えましょう。「それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、宣べ伝えるためです」あなたが選ばれ、神の宝物とされたことで、人々に神の愛とあわれみを示すことができます。そうしてあなたの家族を、親せきを、地域の人たちを、果ては世界の人たちを神のもとに招くためです。先に神に招かれたことの喜びと感謝が宣教の動機となっているのです。さっそく、愛する家族やあなたをとりまく人たちのために祈り、福音を伝えて行きましょう。