2017年10月22日 聖書講演会 西原師 「不安な時代に、錨を求めて」

長寿を見通せない不安な時代

だれでも持っている者は、与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられるのです。
マタイ25:29


マタイ25章14―30節

「この望みは、私たちのたましいのために、安全で確かな錨の役を果たし…」(へブル6:19)船と錨のイメージはクリスチャン生活を良くあらわしています。錨があれば船を固定できます。しかし実際には波によって上下に揺られるものです。潮の流れが強ければ、自分は動いていなくても、あたかも船が流されているような感覚に陥ることもあるでしょう。同じように、キリストへの信仰に導かれ、永遠のいのちの希望が与えられていても、私たちの外側の世界は変わることはありません。人間関係、政治の不安定、自然災害、健康の不安などは、大波のように生活に多大な影響を及ぼします。しかし、永遠のいのちの希望は、世の中のどのような状況によっても、その日の体調や気分によっても、全く影響を受けることがありません。多くの人はその時の考えや感情をあたかも「動かないもの」もののように扱ってしまいます。しかしそれらは最も不安定なもので、初めからそういうものです。問題は動かないものに固定されていないということです。動かないものが必要です。それは神の約束である聖書のことばと、そこにある希望です。一般に、望みというのは、「はかない望み」とも言うように、人がそうあってほしいと願うものに過ぎないものであって、必ずそうなるというものではありません。ところが、聖書は逆で、「確かな望み」がある言います。死から復活されたキリストそのものが望みです。そのキリストのことが書かれているのが聖書です。それを信じるとたましいの錨をいただき、安定を得るのです。たましいの根幹を揺るがすものは人の罪であって、罪がある限り安定はあり得ません。この罪を取り除く唯一の方法がキリストの十字架の死と復活です。「私の罪のためにキリストが死なれ、よみがえられた」と信じるなら必ず安らぎます。