2017年12月10日 ペテロの手紙第一 ‐捨てるもの、求めるもの‐

ですから、あなたがたは、すべての悪意、すべてのごまかし、いろいろな偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。   
Ⅰペテロ2:1、2


講解説教No.8
Ⅰペテロ2章1~3節

 私たちは神によって新しく生まれ、兄弟愛を抱くことができるようになりました。ですから、捨てるものを捨て、求めるものをより求めることが勧められています。この立場にある人だけが行うことのできる信仰の行為です。①悪意を捨てます。これは人に害を加えようとする心で、キリスト不在のこの世界の考え方、生き方全般です。②ごまかしを捨てます。これは自分の目的を達成したいために他の人をだますことです。動機が不純です。③偽善を捨てます。本心とは違う自分を演じている人のことです。④ねたみを捨てます。ねたみはその人に最後まで残る根深い罪です。⑤悪口を捨てます。ねたみの結果として生じるものです。悪口は噂話や陰口にも姿を変えます。聖書の「捨てる」という言葉は、「脱ぎ捨てる」という意味があります。手に持っているものを手放すような簡単なことではなく、癒着し、依存している汚れた服を脱ぎ捨てなければなりません。しかも「すべて」「いろいろ」と言っているように、どんな種類のものも捨てるのです。「この程度のものであれば残しておいても」というものはありません。次に、私たちはみことばを慕い求めます。詩篇42:1を見ると、鹿が谷川の流れを慕いあえぐように神を求めるという一節があります。のどが渇いて困っているために希少な水を慕い求めています。同じように、捨てるべき罪を捨てられずに困っている人はみことばを慕い求めるようになります。兄弟愛を抱くことの出来ない相手に困っているのではなく、それが出来ない自分の罪を嫌い困っている人は混じりけのないみことばが切実となります。このような霊的状態の人は主のいつくし(あわれみ)が深いことに心を打たれます。実にこの人は捨てています、慕い求めています。