2018年1月14日 ペテロの手紙第一 -福音を宣べ伝えるために-

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。  
Ⅰペテロ2:9


講解説教No.11
Ⅰペテロ2章9、10節

 試練の中で悲しんでいる兄弟たち(1:6)を励ますことが手紙の目的の一つです。1章から読み進めて来た最初の締めくくりは2章10節までで、結論は「あなたがたが宣べ伝えるため」(2:9)となっています。励ましの必要なクリスチャンに「平安を祈ります」とか「主が共におられます」という言葉かけは良くありますが、「福音を伝えるため!」というのは独特です。クリスチャンの常識を改める必要があります。その改め作業は、この手紙で教えられているとおり受け取れば良いのです。私たちが罪から救われた目的は「霊の家(教会に築き上げられ)る」ためです(2:5)。その教会が福音を宣べ伝えるのです。福音を宣べ伝えるために召し出されたのであるなら、私たちが「選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民」であるとの自覚が必要です。①神の愛ゆえに選ばれ、新しく生まれた新しい種族であること、②神の御前に礼拝をささげ、外には福音を伝える祭司であること、③他と違いを見せる神に属する国民であること、④神の所有であるがゆえに新しい価値と品位と偉大さを持つ者、それが私たちです。そしてその目的は神のすばらしいみわざである福音を宣べ伝えるためです。私たちの置かれた立場を自覚しているなら、福音宣教を躊躇や遠慮をしたりしないはずです。私たちは「以前は神の民ではなかったのに、今は神の民です。以前はあわれみを受けない者であったのに、今はあわれみを受けた者です」これはホセア2:23の引用ですが、必定以上に今ある立場の念を押しています。神にあわれんで頂かなくては救われることも福音を伝えることも出来ないのが私たちです。主のあわれみにただ感謝します。いましばらくの間、さまざまな試練の中で悲しまなければならないのは、神の民として或いはあわれみを受けた者として福音を宣べ伝えるためです。また互いに愛し合わなければならないのも、福音を宣べ伝える手段としての教会に私たちが築き上げられるためです。これらの聖書の真理の受け入れと実践こそが最大の励ましなのです。