2018年1月21日 ペテロの手紙第一 -りっぱにふるまいなさい-

異邦人の中にあって、りっぱにふるまいなさい。そうすれば、彼らは、何かのことであなたがたを悪人呼ばわりしていても、あなたがたのそのりっぱな行ないを見て、おとずれの日に神をほめたたえるようになります。 
Ⅰペテロ2:12


講解説教No.12
Ⅰペテロ2章11~17節

第一の手紙の第二段階に入ります。神の民が宣教の使命を果たすための対処として、肉の欲を遠ざけること、りっぱにふるまうこと(生き方を示す)が勧められています。生活の中で引っ張られる様々な強い欲のことで、惰眠や暴食(箴言23:21)、度を越えた会話(Ⅰテモテ4:7)なども肉の欲です。それらが強い欲だという自覚がなくても、宣教に対する意識が低かったり、頭ではわかっていても伝道のために行動を移せないことがあれば、たましいに戦いをいどまれているのかもしれません。この消極的対処に対してペテロは「りっぱにふるまいなさい」との積極的対処を特に勧めています。立てられている権威者(政府)に従い敬うことです。神によって立てられている故に従います(ローマ13:1)。ペテロの時代に残忍なネロ皇帝が在位していましたが、それにも敬意を払うことが求められています。その神のねらいは、私たちの一貫した生き方を見て、神から離れていた人たちが神をほめたたえるようになるためです。もう一つはクリスチャンの立派なふるまいによって、私たちを非難する人たちの無知の口を封じるためです。彼らが偽りであることを私たちの生き方によって証明するのです。善人、悪人のどちらであっても従うことができるのは、クリスチャンが「自由人」だからです。兄弟を愛すること、すべての人を敬うこともりっぱなふるまいです(17)。相手を敬うとは、自分の利益のために他の人を動かすようなことをしないということです。それは自分の利益の手段としての対象者であって、そうではなくて、すべての人は愛する対象です。私たちが何のために肉の欲を遠ざけ、何のためにりっぱな生き方をするのか、ここで教えている聖書の理屈から離れないで考えましょう。そうすれば禁欲的、律法的な生活にはならず、りっぱな生き方ができます。