2018年5月6日 片山大輔伝道師 -私は盲目であったのに、今は見える-

ヨハネ9章1~25節

彼は答えた。「あの方が罪人かどうか、私は知りません。ただ一つのことだけ知っています。私は盲目であったのに、今は見えると言うことです。
ヨハネ9:25


5月2日(水)祈り会説教 Ⅰ歴代誌21章「サタンが…主が…」より

Ⅰ歴代誌18-20章には隣国との戦いに勝利し続けるダビデ王率いるイスラエルが描かれています。21章に来て「サタンがイスラエルに逆らって立ち、ダビデを誘い込んで、イスラエルの人口を数えさせた」という出来事が記されています。並行記事のⅡサムエル記を見ると、サタンではなく、「主は…人口を数えよと言って」(24:1)とあります。いずれも事実であり、主の許可のもとサタンが働いているのです。ダビデはこの誘惑に陥り、部下の制止を振り切って実行に移してしまいます。ダビデのこの罪により7万人のイスラエルが倒れました。主はこのような事態をゆるされた理由が重要です。このあとダビデは先見者ガドにより祭壇を築くことを命じられるのですが、そのときダビデは抜き身の剣を手に持つ、主の使いの姿を見ました。見るや否やダビデはひれ伏して礼拝したのです。主の使いとは神として存在されるお方です。受肉前のキリストとも言われます。さて、神がダビデにイスラエルの数を数えさせたのは、罪の弱さを自覚させるためであり、拝するお方はただ一人であることを教えるためです。歴代誌には省かれていますが、敵との戦いに勝利し続ける間にダビデは、数、権力の誘惑に陥る以前に、異性の誘惑に陥りました(Ⅱサムエル11章)。サタンに完敗したダビデは、罪に陥ったところからまことの神を見上げたのです。「この私の力…がこの富を築き上げたのだ」と言わないように気をつけなさい。あなたの神、主を心に据えなさい…」(申命記8:17,18)神は私たちに問題が起こることを約束されます。その目的は認めるべきお方を認めるためです。その目的が達成されていない間は、問題の解決を祈っても聞かれることはないでしょう。