2018年10月28日 ペテロの手紙第二 -語り続けられる裁きと救い-

これらのことでわかるように、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不義な者どもを、さばきの日まで、懲罰のもとに置くことを心得ておられるのです。
Ⅱペテロ2:9



講解説教No.13
Ⅱペテロ2章9-10節

 9節でペテロは、神のさばきが公正であることを教えます。なぜ神のさばきが公正なのでしょうか?それは全知の主がさばくからです。ただすべてを知っているだけではなく、それを成し遂げる全能の主だから公正にさばくことができます。主は「敬虔な者たちを誘惑から救い出されます」 クリスチャンが経験する試練、苦しみ、迫害のすべてから救い出されます。信仰によって歩もうとするために親から責められたり、友だちを失うことも実際にあります。しかしどのような状況に置かれたとしても全知全能の主が必ず守られます。ノア、ダビデ、パウロ、ペテロがそうであったように、神の守りが確かにあったことを聖書から確認し、確信と平安を確保しましょう。次に不義な者へのさばきについて。神に逆らい続ける人については、さばきの日まで懲罰のもとに置かれます。最後の審判である永遠のさばきまで拘留させられるのです。「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている」(へブル9:27)のです。偽教師たちが確実にさばかれる理由は間違いなく彼らの罪のためです(10節)。彼らの罪深さは生活の仕方が証明しています。第一に罪の歩みを止めようとしません。むしろ快楽を追い求めています。私たちは快楽へ流されそうになる時はあります。しかし私たちはそれが目的にはなりません。誘惑されるとかえって苦しみます(試練)。その苦しみこそ快楽を愛しているのではなく、神を愛していることの証拠です。第二に神の権威を侮ります。やはりそれも習慣的に継続します。もしキリストを信じていない人がいるとしたら、その人の罪は今赦されていることはありません。その人はまず何よりも用意された救いを受け入れることです。すでに救われた人、その人は赦して頂くためにクリスチャンとして生きるのではありません。赦された者として生きようではありませんか。